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放送800回突破!TBS辻有一プロデューサーが明かす『ラヴィット!』誕生秘話

TBSで放送中の朝の帯番組『ラヴィット!』(毎週月~金、あさ8時)は、2024年5月24日で放送800回を迎えました。この番組はたびたびネットでも話題になり、番組発のイベントが展開されるなど、TBSを代表する一大コンテンツとなっています。現在に至るまで、どんな思いで番組制作をしていたのでしょうか。辻有一プロデューサーに話を聞きました。

「堂々とバラエティをやる」という覚悟で低迷期を乗り越える

『ラヴィット!』放送800回を超えましたが、率直にどんな心境ですか?

 感慨深いですね。放送開始当初、社内外から酷評されていた中で、若手スタッフが取材交渉をする際に『ラヴィット!』という番組名を恥ずかしそうに名乗っていた姿が目に焼き付いていて、当時はすごく自分の責任を感じ、ずっとその子たちに申し訳なく思っていました。それはMCの川島明さん始め、レギュラー陣へも同じ思いで、プロデューサーとして本当に情けなかったですね。そこからはいつかその若手スタッフが自信をもって「『ラヴィット!』をやっています」と両親や友達に言える番組にしたいというのを自分の中で目標にしてやってきました。

最近は「『ラヴィット!』をやりたくて入ってきました」と言ってくれるような制作会社の若い子がいたり、入社面接でも『ラヴィット!』の話をしてくれる子がいたりして、とても嬉しいですし、自信をもって自分の「仕事」が言えるような環境になったのかなと思って少しホッとしています。ただ、視聴率的にはまだまだですし、改善しなければいけない点がたくさんあるので、常に緊張感はもっています。

今ではTBSを代表する番組の一つだと思いますが、転機になった出来事は?

 『水曜日のダウンタウン』の「あのちゃん」回(#269 「ラヴィット!」の女性ゲストを大喜利芸人たちが遠隔操作して話題となった回)をはじめ、本当にいろいろな転機があったと思いますが、僕の中で考え方がガラッと変わり、番組の方向性が定まったと思うのは、放送開始から2~3か月経った頃に放送していたニューヨークの「たったの10分2品レシピ」というコーナーのVTRをチェックしていた時ですね。当時の『ラヴィット!』は何もかもうまくいっておらず、そんな最悪の状況でチェックしていた、このVTRでいろいろなことに気づかされました。

そのVTRは、ニューヨークが朝の番組では考えられないくらいに、ボケまくっていて、とにかくおもしろかったんです。やっていることがとても朝の番組じゃありえなくて、その振り切り方がなんか心に刺さって(笑)。それまでだったら「朝番組だから」という理由だけで、絶対に切ってしまっていた「笑い」の部分を、最大限残したVTRにして放送しました。そうすると、今までにないスタジオのリアクションが起きて、熱が生まれた感覚がありました。SNSでも見たことがない朝番組と感じてもらえたのか、徐々に風向きが変わっていきました。

元々、僕は『坂上&指原のつぶれない店』、演出のTBSスパークル山口伸一郎さん(番組開始当時の演出担当)は『ジョブチューン』を担当していて、それぞれゴールデン番組での成功体験があったので、そこで培ったノウハウで「朝らしい番組」を作ろうとしていました。でも既視感があったのか、当初は驚くほど視聴率がとれませんでした。テレビって新番組がうまくいかなくなると、番組内外のいろいろな人が好き勝手にダメだしをするようになってきて、現場は怖くなってその意見を全部取り入れようとするんです。皆、誰かのせいにしたがるというか。すると、さらに当たり障りのないどこかで見たことある内容に寄っていき、当初の志を見失った番組になってしまうんです。これはテレビあるあるで、当時の『ラヴィット!』は、まさにそんな危機的な状況に陥る寸前でした。

そんな中で起きたこの出来事に、目が覚めたというか、自分も振り切れたという感覚が近いのかもしれません。もう「朝らしい番組」という固定概念や自分の過去の成功体験は捨てて、「日本でいちばん明るい朝番組」というテーマは大切にしつつも、自分がおもしろいと思うものを、もっと自由に最後まで作ろうと、番組の方向性や運用方法をガラッと変えました。番組への取り組み方も、自分は演出ではなく、あくまでプロデューサーだから、みたいな立場論で遠慮するのもやめようと思いました。どんな失敗だって結局自分の責任になるんだから、どうせなら後悔のない失敗にしようと、開き直ることができたんですよね。この時は成功の兆しなんてまるでなかったので、失敗前提なんですが(笑)。この発想の転換が、堂々とバラエティやろうという覚悟と、後々のある種なんでもありの超自由な企画や演出につながるので、そういう意味で僕の中で大きな転機だったと思います。

TBS辻有一

「日本でいちばん明るい朝番組」に込めた思い

辻さんが『ラヴィット!』のプロデューサーに指名されたときはどんな状況でしたか?

 TBSの朝番組というのは、近年、数字的に苦戦して短期で改編を繰り返していました。編成の意向として、いよいよ根本的に制作体制を切り替えようという話になり、それまで担当していた情報制作局という情報報道番組を作る部署に替わって、バラエティを作るコンテンツ制作局がその枠を制作することになった。その中で最初はチーフプロデューサーの小林弘典に話が来たんですよね。それで小林が僕に「一緒にやろう」と声をかけてくれたんです。ただ私自身、光栄な話だけれど、今まで帯番組を作りたいなんて思ったこともなかったし、どんな番組を作ればいいかイメージが全くできなかったんです。僕は何でも器用におもしろいモノを作れるわけではないし、何か自分なりの「思い」が乗っていないと番組作りができないタイプなので、最初はずっと躊躇していました。

それが、なぜプロデューサーをやることに?

 当時は2020年で、コロナ禍の真っ只中でした。在宅勤務などでみんな誰にも会わず家にこもっていましたし、嫌なニュースが積み重なった時期で、どのチャンネルを回しても朝からコロナの暗いニュース一色でした。実は僕自身も、その年の夏に一番の親友を亡くすというとても悲しい出来事があり、何も手につかないくらい人生で一思い悩んでいた頃でした。小林から話をもらったのはまさにそんな時期で、なかなか踏ん切りが付きませんでした。でもその親友が残した家族とその後も交流を続けているうちに、ふと「この家族は毎朝暗いニュースばかりのテレビを見るのはとても辛いんだろうな」と思ったんです。そして、きっと今は、大なり小なり日本中でそんな辛いことが起きていて、生きるのがしんどい人が多いのではないかなとも。でも、そういう人たちにとって、本来一番必要とされるべき身近な娯楽だったはずのテレビがコロナによって一番見たくない遠い存在になってしまっている。だったら、そんな辛い思いをした人たちが、ふとした朝に見ることができる、一瞬でもクスッと笑えてその日生きる元気が少しでももらえる、そんな番組ができるなら作ってみたいと思うようになり、『ラヴィット!』の企画書を書き始めました。もちろん実際その家族にとっては、そんなテレビ番組はなんの気休めにもならないだろうし、自己満足なのはわかっているんですが、一応そんな思いをもって『ラヴィット!』は動き出しました。

だから一番最初に、どんな「ニュース」であれ「ニュース」は絶対に扱わないと決めましたし、テーマはずっと“日本でいちばん明るい朝番組”。そしてテーマソングは、『輝きだして走ってく』を聴いてまさにこんな番組にしたいとサンボマスターさんにお願いしたんです。歌詞の中に「くじけないで笑っておくれ」という言葉があるんですが、これは僕の中で『ラヴィット!』を作る上で、ずっと大切にしている言葉です。こんな話は今までしたこともないので出演者の方を含め、皆さん知らないと思いますが、実はこんな経緯を経て『ラヴィット!』はできました。3年間紆余曲折を経て今の番組の形がありますが、この初心だけは一度も忘れたことはないです。川島さんもよくインタビューで「ニュースを扱うような番組のオファーだったら受けていなかった」と答えていますが、いろいろな偶然や縁があって今の形ができているんだなと思いますね。

TBS辻有一

イベントやグッズ販売などマルチ展開も話題に

番組の枠を越えた展開も『ラヴィット!』の魅力です。なぜイベントを開催することになったのでしょうか?

 「ラヴィット!ロック」は、歌企画が多くなってきた頃からSNSでも多くのリクエストをいただいていたので、ライブイベントがいいんじゃないかという話になったのがきっかけです。ずっと苦しい時期があったからこそ、番組初期からずっと見てくれている視聴者の方に何か感謝を伝えられるような方法はないか考えていて、川島さんも思いは同じだったので「大感謝音楽祭」と名付けました。「ラヴィット!ミュージアム」や「ラッピーマーケット」も根強く支えてくれている視聴者の方に喜んでもらうことを考えた結果、あの形になりました。

もう一つは、こういったリアルイベントを開催することで、制作スタッフに、実際の視聴者の方たちの「熱」を感じてほしかったからです。『ラヴィット!』はスタッフが総勢250人以上いるのですが、その多くは番組の屋台骨を支えてくれている、いわゆるADと言われる20代の若手スタッフです。皆さんが想像する通り、体力的にも精神的にも大変な仕事です。「大木劇団」の一瞬しか映らないコントの小道具作り、「ニューヨーク不動産」の物件探しや家のブラインド作り、ドッキリのために偽物カニクリームコロッケをひたすら揚げるとか、誰にも気づかれないかもしれないそんな細かな仕事を夜な夜な黙々とこなしてくれています。そして『ラヴィット!』は、そんな彼らの細かな「こだわり」が詰まった仕事のおかげで、今があります。視聴者が気付くかどうかわからないくらいの小さな「こだわり」の積み重ねを3年間してきたことで、ファンが増えていきました。視聴率0.2%から1万円のライブチケットに10万人以上が応募してくれるような「テレビ番組」になれたのは紛れもなく彼らのおかげでもあります。でもその事実って僕がいくら口で伝えたところで、信じてもらえないんですよ(笑)。その仕事の大きな意味をなかなか実感できないでいるんです。

だけど「ラヴィット!ロック」で代々木第一体育館の1万人の観客が「ラヴィット!」と大きな声で叫んでくれている姿や、「ラヴィット!ミュージアム」で自分たちが作った小道具を手に取って爆笑してるファンの姿、「ラッピーマーケット」に炎天下の中並んでくれている何百人もの行列を目の当たりにしたら、何よりの証明になるじゃないですか。少しは苦労が報われると思うんです。綺麗ごとかもしれないですが、自分たちのやっている仕事がどれだけ多くの人の心を動かしているかを知って「やりがい」を感じてほしかった。だから、スタッフには絶対にイベントの現場に行って、お客さんの顔を見てほしいと伝えました。もちろんそれですべてが解決するとは思っていませんが、チームにとってきっと大きな意味があると信じています。

グッズ展開も幅広いですが、こだわりは?

 『ラヴィット!』のグッズは番組の内容から逸脱しないモノだけにするというのを自分なりの決まりにしています。儲かるかもしれないという理由だけで番組に縁もゆかりもない商品は作らないということです。あくまでグッズを売るために作っている番組ではないので、視聴者の方の信頼を失わないように、その塩梅は常に気にしています。番組の中で生まれたネタの中から、話題になったモノや視聴者の方もおもしろがってくれるだろうなと思うモノをグッズにするようにしています。田村真子アナ、赤荻歩アナ、南波雅俊アナのアナウンサーアクスタも、少しはおもしろがってくれるかなくらいの感覚だったのですが、それがめちゃくちゃ売れて僕も戸惑っています(笑)。

ラッピーも開始当初は「番組をかき乱す無茶ぶりをするキャラクターがいればおもしろいよね」くらいの感覚でゼロから作ったんです。「セリフはどうする?」「主語はどうする?」なんて演出と相談しながら。それがたくさんの無茶ぶりに出演者の方が応えてくれて、逆にイジってくれたおかげで、今や信じられないくらいの人気キャラクターになっていて本当に驚いています。

ただ、こちらもむやみやたらに商品にすればいいと思っているわけではなく、番組にとって大切なキャラクターなので、その価値を棄損しないように、たくさんいただく引き合いの中から一つ一つ精査してグッズ展開するようにしています。当初は誰も見向きもしなかったラッピーがここまで人気になったのは、ある意味一番の驚きかもしれないですね。

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TBS辻有一

辻有一
2006年にTBS入社。営業や編成を経てスポーツ局を2年間経験。その後、編成に戻り、2018年『坂上&指原のつぶれない店』の立ち上げと共にバラエティ制作に異動、プロデューサーとして2020年に『それSnow Manにやらせて下さい』、2021年に『ラヴィット!』を立ち上げ、現在はコンテンツ制作局にて『坂上&指原のつぶれない店』、『それSnow Manにやらせて下さい』ではチーフプロデューサー、『ラヴィット!』ではプロデューサーを担当。 

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