- People
大島由香里&純烈・酒井一圭がTBSラジオ『BRAND-NEW MORNING』で元気な朝をお届け!元お笑い芸人のプロデューサーが明かすラジオの魅力

TBSラジオは、2025年4月より朝の生ワイド番組『BRAND-NEW MORNING』(毎週月~金曜、あさ5時~6時30分)を放送中です。大島由香里さん(月~木曜)と、純烈・酒井一圭さん(金曜)がパーソナリティを務め、全国に笑顔と元気を届けています。
番組のプロデューサーを務めるTBSラジオの浅沼達朗に、『BRAND-NEW MORNING』の制作秘話に加え、自身のキャリアについても話を聞きました。
新卒でニッポン放送入社、4年目でお笑い芸人に転身
まずは、浅沼さんがラジオ業界に入った経緯を教えてください。
浅沼 僕はいわゆる就職氷河期世代でして…テレビ局や広告代理店などメディア・マスコミ業界を目指して就職活動していたものの、全滅。留年してもう一度就職活動し、何とかニッポン放送から内定をいただきました。
子どもの頃からテレビっ子でしたが、並行して中学生くらいからは『とんねるずのオールナイトニッポン』や『伊集院光のOh!デカナイト』(ともにニッポン放送)といったラジオ番組を楽しく聞いていたので、「ラジオ番組のディレクターやプロデューサーになりたい」という希望がきっと叶うと思い、ドキドキして入社しました。
しかし、1年目に配属されたのは営業部門でした。番組を作りたくて入ったのに、営業職は番組を売る側なので制作現場に直接携わることができません。社会人4年目、20代が残り3年となった頃、30歳までの次の3年を今まで通り生きるか、何かにチャレンジするか悩んでいました。
その後、お笑い芸人としての活動を始められたそうですね。
浅沼 仕事で担当した警視庁の交通安全キャンペーンイベントで、たまたま大学の同級生で芸人活動をしているおおかわらくん(現在、お笑いトリオ「鬼ヶ島」のメンバー)に再会しました。当時「アメデオ」というコンビで活動し、プロダクション人力舎(以降、「人力舎」)に所属していた彼の舞台を見て、元同級生が漫才で笑いをとり、脚光を浴びているのがうらやましく、心が動きました。
イベント後、話していると「実は別のユニットを組もうと考えていてツッコミを探している」と明かされたんです。お笑いへの憧れはメディアを通じて持っていたので、「僕じゃだめかな?」と聞いてみたところ、なんとメンバーに入れてもらえることになりました。
ですが、会社では「おまえ、正気か?」と呆気にとられる方ばかりで、父親にも猛反対されました。就職氷河期に名のある会社に入れて3年以上頑張ってきたのでもったいないと思ったのでしょうね。今では気持ちもわかりますが、その反対を押し切って2004年6月に退職、3か月後の9月には「鬼ヶ島」というトリオを組んで人力舎に所属し、舞台デビューしました。ちなみに、その時の僕はお笑い芸人の経験も知識もありません。事務所の養成所を経ずに所属するのはおぎやはぎさん以来、2組目だったと聞いています。
ただ、下地がない状態で芸人として活動するのはなかなか厳しかったです。アンジャッシュさん、アンタッチャブルさん、北陽さん、ドランクドラゴンさん、東京03さんら事務所の先輩たちが活躍されていたので番組収録の前説やローカル番組のレポーター、人力舎の全国ツアーなどのイベントにはご一緒させてもらったことはありましたが、やはり自分たちの名前だけでテレビのゴールデン帯に出演できることはほとんどありませんでした。
芸人活動中、ある企画でゲッターズ飯田さんに僕たち「鬼ヶ島」3人の手相を見ていただく機会がありました。そこで僕は「あなたがキーマンです」と言われたので、自分が頑張ればきっと売れると思い、一人でコントネタを書いて「R-1グランプリ」に挑戦したり、テレビ番組の先輩芸人のトークを書き起こしたりと自分なりに努力しました。しかし、一向に芽が出る気配はなく、丸3年の芸人活動を経て、僕は脱退しました。ちなみにその後、鬼ヶ島は『キングオブコント』(TBS)で決勝に進出したり、『爆笑オンエアバトル』(NHK)や『リンカーン』(TBS)などゴールデン帯の番組に出演するようになりました。ある意味、僕がキーマンでしたね(笑)。
TBSラジオには、どんな経緯で入社されたのでしょうか。
浅沼 30歳で芸人をやめて、これからは家族を幸せにするために頑張ろうと就職活動をしたところ、ニッポン放送での営業経験も評価してもらい、最終的にご縁があったのがTBSラジオでした。2007年のキャリア採用で入社以来、約17年間ほぼほぼ営業職を担当していました。新卒時は制作希望でしたが、それを飛び越えて出演する側の芸人になったので、あとは「できることは何でもしよう」というスタンスでした。芸人時代は全く人並みの生活ができなかったので、正社員として採用していただけるだけで本当にありがたかったです。

営業の仕事は具体的にどんな内容ですか?
浅沼 テレビ・ラジオ・BSは共通して、番組のスポンサーを探すことが仕事です。ただ、テレビと比べてラジオを聞く人の絶対数は少ないので、一般的な広告業界の商流にラジオCMはほとんど入りません。売上のシェアも1~2%ほどなので、非常に厳しい世界です。
待っていても仕事はこないので、こちらからスポンサーにアプローチします。朝から晩まで一日中ひたすら電話をかけたり、行く先々の場所で新規のスポンサーや広告会社にノーアポで飛び込んだりと、まさに“どぶ板営業”もしていました。仕事内容はニッポン放送時代と大きくは変わりません。
コロナ禍では直接お客様に会えずとても大変でしたが、営業部員みんなの知見を取り入れてリモートやデジタルも導入して、新たなるハイブリッド営業に取り組みました。radiko、Podcastの数字が一気に伸びて人に会わずに聞ける音声は強みであると実感しましたし、『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』というPodcastオリジナルのヒットコンテンツが生まれ、さまざまなスポンサーについていただけたのは良かったです。
芸人時代の経験が生かされた部分はありますか?
浅沼 芸人活動をしていた3年間はとにかく生活が苦しかったので、生きるためのガッツは芽生えましたし、メンタルも強くなったと思います。また、東京の芸人さんは横のつながりが結構強いので、各事務所の先輩、後輩、同世代の皆さんにご協力いただき、ラジオ番組発のスポンサータイアップ企画が実現したこともありました。それは芸人をしていたことの強みである以上に、お笑い芸人の皆さんが一度仲間だった人間に対してとても情が深いおかげだと思っています。特に人力舎さんは現在もTBSラジオでは『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』や『大久保佳代子とらぶぶらLOVE』、『真空ジェシカのラジオ父ちゃん』などのレギュラー番組を放送しているので、今後も一生お世話になりたいと思ってます。
それから鬼ヶ島が2024年で結成20周年を迎え、10年ぶりに『鬼ヶ島単独ライブ「47歳の転校生」』(2024年)を開催することになったときは、TBSラジオが後援して、僕は告知や宣伝などをお手伝いしました。営業職が長かったのでグッズ販売には全力を尽くしたほか、ネタ作りの場にも呼ばれるようになって、ライブ当日はサプライズでコント1本に出演させていただきました。同窓会みたいで楽しかったですし、活動20年のうち3年分だけでも携わらせてもらえたのが嬉しかったので、今後も続けてもらえたらいいなと思ってます。

約17年営業に携わり、制作部異動後すぐに新番組立ち上げへ
2024年に制作部へ異動されたそうですね。
浅沼 制作部に異動してきたのは、2024年10月です。営業部門では管理職を数年務めていたこともあり、社会人24年目で全く未経験の僕が制作を任されることになるなんて驚きました。
それからラジオ制作を学ぶために、『安住紳一郎の日曜天国』や『金曜ワイドラジオTOKYO「えんがわ」』などのプロデューサーをさせていただいたり、『パンサー向井の#ふらっと』ではディレクターとして卓に座ってキューを振るなど実地研修をさせていただいたりしました。
そんな中、朝の生ワイド番組『BRAND-NEW MORNING』の立ち上げに携わることになったそうですね。どんな経緯で始まったのでしょうか。

浅沼 前の番組が急きょ終了することが決まり、新番組の立ち上げを任されることになりました。約2か月で立ち上げなければならなかったのですが、番組にまつわるさまざまなスタッフの皆さん、セールスしてくれる営業部の皆さん、そしてコンテンツ制作局の長谷川裕さんと編成戦略部長の後藤一さんをはじめ、社内各署の皆のサポートのおかげで無事に番組をスタートすることができました。
番組にはどんな思いを込めていますか?
浅沼 まさにタイトル通り、前番組とはがらっと“真新しく”変えたいなと思いました。とはいえ平日の朝の首都圏放送と全国放送が入り混じっている時間帯なので、ニュース、天気予報、交通情報、ラジオショッピングという基本フォーマットはなかなか変えられません。
ですが、テーマ設定や話題の取り上げ方、曲の選び方は「リスナーの皆さんが一日を笑顔で元気に過ごせるように」という思いを込めています。占いコーナーも、できるだけポジティブなことだけを発信したいのでラッキーカラーとその日のアドバイスだけにしています。
パーソナリティに大島由香里さん、純烈・酒井一圭さんを起用した理由を教えてください。
浅沼 ラジオの平日早朝はシニア層のリスナーさんによく聞いていただける時間帯で、これまでは我々もその方々をターゲットにしていましたが、今後は新しい層の方にも聞いていただきたいという思いもありました。大島さんと酒井さんはそれぞれ個性的な魅力をお持ちなので、幅広い層の方に聞いていただきたいという狙いがあります。
大島さんは元フジテレビのアナウンサーで、夜の報道番組『ニュースJAPAN』を担当されていたのでニュースを読んでいるところを見た方もいらっしゃるかと思います。当時は非常にしっかりしたキャスターのイメージがありましたが、ここ数年はご自身のYouTubeでお酒を飲む姿を披露したり、TOKYO MXの『5時に夢中!』ではいじられキャラの一面もあったりと、明るく元気でバラエティ的な要素も大いに持ち合わせている方なので、これからのTBSラジオの朝にはぴったりだなと思いました。
酒井さんは言わずと知れた純烈のリーダーで、純烈にまつわるすべてのプロデュースを手掛けています。『NHK紅白歌合戦』や『輝く!日本レコード大賞』の常連で、幅広い世代に認知され、好感度も高い。さらに今でも銭湯や健康ランドをまわってライブをされていて、非常にファン思い。その人柄の良さに加え、語り口調も心地よく、平日(月~木曜)の大島さんと、週末(金曜)の酒井さんという組み合わせが「一週間の良いリズムを作ってくれそうだ」と思いました。
30年後も続く長寿番組を目指して

放送が開始して3か月たった2025年7月に、『BRAND-NEW MORNING』がリニューアルされました。どんな意図があったのでしょうか。
浅沼 『BRAND-NEW MORNING』は2025年4月にスタートしました。3か月経って少し安定してきたところもありつつ、社内外の関係各所やリスナーさんからもいろいろなご意見をいただくようになり、番組をさらに良くするため、リニューアルすることになりました。
リニューアルではどんなところが新しくなりましたか?
浅沼 まずは、キービジュアルの変更です。番組タイトルは開始当初の『Brand-New Morning』から文字をすべて大文字に変更し、これに合わせて大島さん&酒井さんのおふたり揃っての写真を新たに撮影をしました。
番組の内容面では聞きやすいリズムを検証し直しました。例えば、テーマソングの流し方やニュースの入り方、天気予報を入れる順番などを再考しました。
それから、大島さんと酒井さんそれぞれの生活環境で気になるニュースが違ったり、話す内容も異なったりするんだなとわかってきたので、それに合わせて番組を構成しようと考えています。例えば、大島さんはお子さんがいるので、教育や生活にまつわる情報に非常に敏感です。そういったトピックスを深掘りしたり、時には専門家の方に解説していただいたりしながらコーナーを展開していこうかなと考えています。
酒井さんは話題が多彩で幅広く、お話もとてもお上手なので、番組ではもっとゆとりを持ってフリートークをしていただける進行をしたいと思っています。また、番組が全国ネット放送ですから、純烈の活動で全国を飛び回っていらっしゃる酒井さんに、行く先々で出会った魅力的な人やグルメ、スポットなどもお話してもらう予定です。あとは金曜日を担当していただいているので、酒井さんを通じて、週末に向けたワクワク感をもっとお伝えできるようにと計画しています。
パーソナリティのおふたりについて印象に残ったエピソードを教えてください。
浅沼 大島さんは好奇心旺盛、積極的にいろいろなことに取り組む方です。先日、番組で大阪関西万博の取材に行ったのですが、一日で約15000歩を歩いたんです。にもかかわらず、その翌日、一週間で唯一の休日の日曜日にも、娘さんと東京タワーの600段ある階段を下りたそうです。「膝が笑いながらも何とか」とおっしゃっていましたが、本当にバイタリティのある方だなと驚きました。そのアクティブさ、実体験を飾らずに伝えられる力がフリートークに生かされていると思います。
ニュースを読むのも久しぶりだそうで、最初の1か月は慣れないラジオの生放送に緊張されていたと思いますが、大島さんが『5時に夢中!』で共演している垣花正さんに「ラジオこそ自由でいいのよ、素でいいのよ」と言われてからはリラックスできるようになったそうです。番組ではお食事をするコーナーが何か所かあるのですが、素直に美味しいものは「美味しい!」とコメントされ、止まらず召し上がっています(笑)。「自由にやらせてくれてありがとう」とよくおっしゃっていただいています。
酒井さんはとにかくファンを愛している方で、リスナーさんからのメールもとても熱心に読まれています。純烈の活動で全国をまわっていると「ラジオ聞いてます」とよく声をかけられるそうです。ライブなどでも「ラジオ聞いてくれてありがとうね」と言って一人一人に握手しているそうで、本当に温かい方だなと感じています。
また、6月の放送で純烈の白川裕二郎さんと後上翔太さんにゲスト出演していただいたのですが、その回では純烈のプロデューサーとして、パーソナリティとしての両面からおふたりを深掘りされていたのが魅力的でした。酒井さんのプロデュース力は勉強になりますし、今後もそのお力を存分に発揮して番組をよりよくプロデュースしていただきたいですね。

番組としての今後の展望を教えてください。
浅沼 まずは、より良い番組にしていくために、皆さんのお声に耳を傾けながら、短期的にも改善していけるよう、PDCA(Plan・Do・Check・Action)サイクルをしっかり回していきたいです。
また現在、大島さんが41歳、酒井さんが50歳なので、30年後も続いている番組になっていたら嬉しいなと思っています。おふたりにはそれくらいの覚悟で取り組んでいただいていますし、そのポテンシャルをお持ちの方たちなので、簡単ではないとは思いつつも、長寿番組を目指しています。
それから、近年はイベントやデジタルコンテンツなどラジオの域を越えて広がっていく番組が増えているので、中期的には音声メディア以外でも広がるヒットコンテンツになれたらいいなと思っています。
『BRAND-NEW MORNING』をきっかけに、浅沼さんのようにラジオおよびメディア業界での仕事を志望する人材が増えるかもしれません。最後に、就活生に向けてメッセージをお願いします。
浅沼 テレビのドラマやバラエティの規模感や輝きはすさまじく、絶大な影響力がありますが、一方でラジオは「コンテンツに一番近いメディア」であるとお伝えしたいです。
『BRAND-NEW MORNING』はパーソナリティとプロデューサー、メインディレクター、放送作家の役も務めるサブディレクター、TD(テクニカルディレクター)、ADと、大体約6名で日々放送を届けています。パーソナリティとの信頼関係を大事に築いてこそ、制作できるのが魅力です。もちろん、天気や交通情報など専門家の方もいらっしゃいますが、こんなに少人数で全国に情報発信できるのは、メディアの中でも稀有であり、とてもやりがいがあります。こういった仕事を目指す方は、ぜひTBSラジオにお越しいただきたいですね。
特に、ラジオ業界の中でもTBSブランドとして音声コンテンツを届けていけるのは魅力的だと感じています。首都圏キー局の中でラジオ局を持っているのはTBSだけです。とても良い環境で作らせていただいているので、これからもTBSグループの一員として「ときめく“音”」を発信していきたいですね。
>NEXT
TBSラジオ『脳盗』『東京閾値』担当の松重暢洋に聞く、番組制作の裏側

浅沼達朗
2001年、早稲田大学第一文学部卒業、ニッポン放送入社。営業部門に3年間従事した後、2004年にニッポン放送を退社し、お笑い芸人に転身。プロダクション人力舎所属のお笑いトリオ「鬼ヶ島」のメンバーとして3年間活動。『爆笑オンエアバトル』(オフエア)、『エンタの神様』(エキストラ)、『M1グランプリ』3回戦進出。
2007年に「鬼ヶ島」を脱退し、同年10月にTBSラジオ入社。営業部門を中心にキャリア入社18年目、2024年10月、営業第一部長から、人生で初めての制作部門へ異動。現在は制作部部長、『BRAND-NEW MORNING』のプロデューサーを務めている。
【『BRAND-NEW MORNING』番組概要】
放送日時:毎週月曜日~木曜日 あさ5:00~6:30『大島由香里 BRAND-NEW MORNING 』
毎週金曜日 あさ5:00~6:30『純烈・酒井一圭 BRAND-NEW MORNING 』
※あさ5:00~5:30はTBSラジオのみで放送、
あさ5:30~6:30は全国ネットでお送りします。
出演者:月曜日~木曜日 大島由香里
金曜日 純烈・酒井一圭
聞き方:
・radikoでオンエアから1週間タイムフリーでお聞きいただけます。
・各種Podcastでも配信しています。(Spotify ・Amazon Music ・Apple Music)
・ラジオ受信機ではAM954MHz/FM90.5MHzでお聞きいただけます。