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バスケットボール界のスター・渡邊雄太に7年密着して映画化!監督に聞く“本音”の引き出し方

2025年3月から4月にかけて、TBSのドキュメンタリーブランド「TBS DOCS」が手掛ける「TBSドキュメンタリー映画祭2025」が全国6都市で開催。2025年で5回目となる映画祭には、TBS、JNN各局の傑作ドキュメンタリー17作品が集結しました。
注目作の一つが、プロバスケットボールプレーヤー・渡邊雄太選手に密着した『渡邊雄太 ~傷だらけの挑戦者~』。世界最高峰のNBAから日本のBリーグに主戦場を移した渡邊選手が、困難を乗り越え挑戦する姿を追っています。3月に行われた舞台挨拶イベントには渡邊選手が登壇し、大きな話題となりました。
同作の監督を務めたのは、TBSスパークルの久米和也。渡邊選手密着取材の裏側に加え、自身のキャリアについて話を聞きました。
真面目で謙虚な渡邊雄太選手に魅了され、7年にわたり密着

久米さんは長年にわたり渡邊雄太選手に密着取材されています。取材は、いつごろからスタートされたのでしょうか?
久米 初めて取材で会ったのは2018年の夏、渡邊選手が23歳のときです。当時、渡邊選手は「日本人2人目の世界最高峰NBAプレーヤーに」と期待されていた方で、以前から取材をしたいと考えていました。
そこから、渡邊選手を追い続けた理由は?
久米 僕が取材を始めたあと、渡邊選手はNBAのメンフィス・グリズリーズにて日本人2人目のNBAプレーヤーとして活躍するようになりました。最初の1年で、彼の真面目で謙虚な人柄、バスケットボールへの深い考えに強く魅了され、ごく自然に渡邊選手を追いかけるようになりました。
渡邊選手が本作の舞台挨拶の際に「僕がグリズリーズ2年目の開幕前、同時期に八村塁選手もNBAが決まって、その時マスコミの人がみんなロサンゼルスに行ってしまったんですが、久米さんはメンフィスにきてくれて、この人についていこうと思った」とおっしゃっていました。調子が良い時だけ取材に行っても、「この人は良い時だけ来るなあ」と思われますよね。やはり、取材も「人対人」なので、この人と決めたら一途に追いかけることを大事にしてきました。
密着取材では、事前にどのような準備をするのでしょうか。
久米 シーズン中に度々アメリカへ行ったり、日本に帰国した際も取材を申し込んだりと、コンスタントに取材させていただきました。お会いする前に聞きたいことを大まかには用意しますが、質問案を事前にお送りすることはありません。彼が試合でどんなプレーをするのかは事前にわかりませんし、試合に負けること、そもそも試合に出場できないこともあるので、その日の状況に合わせて気になることを聞くようにしています。
僕は渡邊選手を長く取材しているので、会って顔を見たときの雰囲気で「今日はあまりこういう話は聞かれたくないだろうな」「今日は結構何でも話してくれそうだな」となんとなく察することができるようになりましたが、それは皆さんが家族や友人と接しているうえでも同じではないでしょうか。
密着取材中はどのようなことを意識していますか。
久米 渡邊選手に限らず、密着取材ではあえて「カメラを回さない時間」を作ることを大事にしています。というのも、僕は取材対象者の方を見聞きして知っていますが、相手は僕のことを全く知りません。取材というのはやはり人対人なので、相手が話をしたくなるような関係性を作ることは大事です。本筋のインタビューの前に雑談をして、僕がどんな人間かを少しでも知っていただくよう意識しています。
渡邊選手とは数えきれないほど雑談してきました。例えば、彼は香川県、僕は徳島県と同じ四国出身なので地元の話をしたり、渡邊選手は靴が好きなのでバスケットボールシューズやその日に履いている靴について話したりしました。ちなみに、僕のバスケットボールの恩師が渡邊選手のご両親と知り合いだそうで、意外なつながりもありました。ほかにもプライベートのたわいのない話をしましたね。

映画のインタビューでは、NBAから日本のBリーグに活躍の場を移したことに対して「都落ち」という表現を使って、渡邊選手に心境を聞くシーンがありました。
久米 普通、アスリートに対してこの言葉をかけるのは失礼に当たります。この質問をしたのは映画取材の最後にお願いしたロングインタビューの時。これまでの信頼関係があり、なおかつこの日は何でも答えてくれそうな雰囲気があったので、あえてぶつけさせていただきました。渡邊選手も、僕が普段からどんな意図で質問しているか、理解してくれているからこそ答えてくれたのかな、と勝手ながら思っています。
密着中に印象的だったエピソードを教えてください。
久米 印象的だったシーンは映画本編に入れているので、惜しくも入れられなかったエピソードをお伝えすると、2024年の春ごろ、日本で渡邊選手が若手選手から突然「一緒に練習してもらえませんか?」と声を掛けられ、快諾のうえ練習に付き合ったことです。渡邊選手はその選手と初対面ですし、突然のお願いに戸惑いを感じてしまっても無理はない状況で、「急に誘うなんて失礼に当たるのではないか」と思いました。ですが渡邊選手はとても楽しそうに真剣に練習していた姿が印象に残っています。実はこれまで渡邊選手自身も先輩に練習に付き合って教えてもらい、嬉しかった経験があったそうです。
渡邊選手は、スター選手が数多くいるNBAで粘り強く頑張ってこられた方です。ですから若手選手の気持ちにも共感できる。そして、この出来事から「日本のバスケットボール界を引っ張っていかなければならない」という自覚や、彼の責任感の強さも改めて感じられました。
約7年間、渡邊選手を取材してきて、変わったと感じるところは?
久米 NBA選手になる前と比べて、「自分が日本のバスケットボール界を牽引するべき存在だ」という責任感や自覚をお持ちになられたように感じます。それは、最近のあらゆる言動にも表れているのではないでしょうか。
映画では、病院の小児病棟を訪問して子どもたちと交流する様子も紹介しています。渡邊選手はいつも「プロのバスケットボール選手として自分ができることは何か」と考えていて、病院訪問も自身の役割を自覚して行動していることを象徴するシーンだったと思います。

渡邊選手をより好きになるような映画を目指して制作
映画『渡邊雄太 ~傷だらけの挑戦者~』は、どのような経緯で制作されることになったのでしょうか。
久米 2024年4月、渡邊選手に近しい関係者の方から、「渡邊選手のNBA生活が終わります」という話がありました。僕はそれまで6年間、渡邊選手の取材を続けてきたので、聞いた瞬間、「まずは取材を続けよう」と決意を新たにしました。先に『情熱大陸』で渡邊選手を取り上げることになったのですが〈渡邊選手の回は2025年1月26日(日)放送〉、その後、映画も作ろうという話になり、制作が決まりました。
当然ですが、その時点では彼が日本のBリーグでどんな活躍をするのかわかりませんので、映画の方向性や内容がどうなるのか当初は想像できませんでした。とにかく映画を作るということだけが決まった状態で、2025年1月18日(土)・19日(日)開催のBリーグのオールスターイベントまでは取材しようとあらかじめ期限を決めました。
『情熱大陸』の編集と並行して、どのシーンを入れようかと考えながらギリギリまで作業しました。映画の編集は『情熱大陸』の放送を終えてから始め、約3週間で仕上げました。

『情熱大陸』と映画では、どのように違いをつけましたか?
久米 せっかく映画を作るのだから、『情熱大陸』の映画版という見え方にならないようにしたいというところからスタートしました。一番大きな違いは、ナレーションの有無です。番組制作の仕事を始めてからずっと、当たり前のようにナレーションをつける作業をしていましたが、ナレーションがあるとどうしても作り手の主観が入ってしまいます。映画では渡邊選手の言動から行間を読んで、それぞれ自由な感想を持っていただきたかったので、今回はナレーションなしに挑戦しました。
内容も異なります。『情熱大陸』は地上波の全国放送で、バスケットボールに詳しくない人たちも見ていますから、誰が見てもわかりやすく、親しみやすくするため、渡邊選手がゲームをするシーンなど私生活の映像も含めていました。
映画では渡邊選手やバスケットボールのファンが見てくれることを想定していたので、インタビューでは特に、丁寧に深部まで踏み込んだQ&Aや、映像は試合やオフなどバスケットボールに関する舞台裏を中心に取り入れました。
渡邊選手はバスケットボール界のスーパースターと言っても過言ではありませんが、彼も一人の人間なので、当然、弱い部分や焦りの感情も持っています。映画ではそういった部分も知ってもらえるようなシーンを取り入れ、「渡邊選手を、さらに好きになって理解してもらいたい」という気持ちを込めました。
また、『情熱大陸』は番組のテイストも大事にする必要があったのと、VTRの分数も23分程度と短めなので、本筋に関係ないことは入れづらいです。映画では分数が3倍以上あるので、例えば会見前に軽食をとるシーンなども入れられました。そんな何気ないシーンも意外と心に残ると考えて、あえて入れています。
映画は「TBSドキュメンタリー映画祭2025」にて、全国6都市で上映されました。舞台挨拶も行いましたが、反響はいかがでしたか?
久米 全体的に反響はとても良く、「続編を作ってください」という声を多くいただきました。劇場では鑑賞後泣いている方もいらして、テレビと違って直接ご覧になった方たちの反応を見られたのはとても新鮮でした。
SNSでも「渡邊選手にほれ直した」「生き様がかっこよくて、元気をもらえた」というポジティブな投稿がたくさんあったので、制作してよかったなと思っています。日本のバスケットボール界の盛り上がりに少しでもつながればとても嬉しいです。
渡邊選手はシーズン中にもかかわらず、練習が終わってから舞台挨拶に登壇してくれました。渡邊選手にとってこの映画は、自分の行動を見返すようなものなので、特に新鮮さはなかったのではないかと思っていました。しかし「すごく良い作品に仕上げてもらってよかったです」という言葉をいただいて、中身に関しては満足いただけたのかなと嬉しくなりました。


「バスケットボールの魅力を広めたい」という一心でテレビ業界へ
ところで、久米さんがこの仕事を始めた理由と、現在に至るまでの経緯を教えてください。
久米 僕は中学1年生でバスケットボールを始めて、大学でもずっとやっていました。もともとは教員になって、そこでバスケットボールの魅力を後進に伝えたいと思っており、教育実習を経て教職課程を修了したのですが、ある時「バスケットボールの魅力を広めるなら、テレビで放送した方がたくさんの人に見てもらえるのではないか」と一念発起し、テレビ業界を目指して就職活動を行いました。
入社後、スポーツ番組の制作に携わることが多かったですが、最初からバスケットボールを扱えたわけではありません。2001年の入社当初は日本人のNBA選手はおらず、日本にプロリーグがなかったので、企画に取り上げられるジャンルではなかったんです。
バスケットボールを扱うためにどうすればいいかを考え、まずはディレクターとして周囲から認められるようになろうと思いました。バスケットボール以外のスポーツについて勉強し、取材などの経験を積んでいくことで、徐々に自分のしたいことをさせてもらえるようになったと思います。それにバスケットボール以外のスポーツ取材でも非常に良い出会いや経験をさせてもらえました。
入社後はどんな経緯でディレクターとして仕事するようになりましたか?
久米 2003年、田臥勇太選手が日本人として初めてNBAに挑戦することを決めました。当時は日本にプロリーグがなく、「日本人がNBAに挑戦するなんて難しい」と言われていた時代ですが、彼の挑戦を見届けるため、2度渡米。トータルで約2か月間密着取材に行きました。
僕は当時3年目でまだADでしたが、どうしても自分で取材したかったので、上司にお願いしてディレクターとして行かせていただきました。しっかりディレクターとして仕事できたかはわかりませんが、最終的には『ZONE』(1999~2004年)というスポーツドキュメンタリー番組で2回放送させていただきました。
スポーツ番組制作の魅力を教えてください。
久米 この仕事の魅力は、「選手の成長や成功に寄り添えること」です。
僕はこれまで2004年のアテネ大会から2024年のパリ大会まで合計して11回、現地でオリンピック・パラリンピックの取材を担当しましたが、レスリングの吉田沙保里選手に密着したことは忘れられません。彼女は今でこそ「霊長類最強女子」と言われていますが、2003年に取材を始めた当時は大学生で、日本国内のライバルに負けて泣いてしまう姿を見たこともありました。それが、ずっと密着している間に、どんどん強くなってオリンピック出場を決め、アテネ大会では初の金メダルを獲得する瞬間に立ち会うことができました。その過程をずっと見てきたので、自分のことのように嬉しくて、カメラをまわしながらガッツポーズしてしまうほどでした。
そんな特別な感情にさせてもらえるのは、スポーツドキュメンタリー制作ならではの魅力です。いろいろな国や場所に行って、取材でないと見られない風景を目にできる点も魅力だと思います。

TBSスパークルの魅力は、どんなところだと思いますか?
久米 いろいろなジャンルのコンテンツ制作に関わることができる点だと思います。僕は入社当初はスポーツ番組が中心でしたが、近年は並行して『報道の日2022』や『東日本大震災13年 Nスタ つなぐ、つながるSP “いのち”』といった報道系の番組にも携わってきました。
TBSスパークルはドラマやアニメ、映画や配信系など多彩なコンテンツを作っています。制作現場の部署はフリーアドレスで仕事しているので、社内のいろいろなところでクリエイターが議論しており、ものづくりへの熱が高く、とても刺激的です。自分と異なるジャンルのクリエイターとも距離が近いので、さまざまなことにチャレンジしやすい環境だと思います。
ご自身の今後の展望を教えてください。
久米 これまで主にコンテンツ制作に携わってまいりましたが、コンテンツが成立する背景には、予算管理や組織運営をはじめとする多くの部門の支えがあることを実感しています。
今後は制作にとどまらず、こうした周辺領域への理解を深めることで、スパークルからより魅力的で価値あるコンテンツを創出していけるよう努めてまいりたいと考えております。
将来的には渡邊選手の映画の続編も作りたいですね。できれば彼が引退するまで追っていけたら嬉しいです。
最後に、久米さんのように、スポーツに関わる番組制作の仕事を志望する就活生に向けて、メッセージをお願いします。
久米 僕は当初は教員志望で、就職活動をスタートしたのは遅い方です。もう少しきちんと志望動機などを練っておけばよかったかと反省したこともありますが、勢いと熱意でここまでこられたと思います。バスケットボールを扱えるようになるまで時間はかかりましたが、初心を忘れずに仕事に打ち込んできて良かったなと実感しています。
僕がこの仕事を始めてから、スマホやSNSが登場したり、近年では生成AIが誕生したりと、テレビ業界に影響を及ぼす変化がたくさん起きています。チャールズ・ダーウィンが著書『種の起源』で「最も強いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残る」という言葉を残している通り、この仕事を目指すなら、時代とともに起きる変化に対して、楽しみながら柔軟に対応していく気持ちを持つといいのではないでしょうか。
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久米和也
TBSスパークル 経営管理本部 オペレーショナルエクセレンス推進部
1979年1月28日生まれ。徳島県出身。漫画『SLAM DUNK』の影響を受け、中学生でバスケットボールを始める。
2001年入社後、スポーツドキュメンタリー『ZONE』を担当。日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太選手のアメリカ挑戦に密着した作品で2003年ディレクターデビュー。そのほか『SASUKE』『世界陸上』『INOKI BOM-BA-YE』などのスポーツコンテンツに携わる。オリンピック・パラリンピックは、合計11度の現場取材を務めた。また『報道の日2022』『東日本大震災13年 Nスタ つなぐ、つながるSP “いのち”』やBS-TBS『Style2030 賢者が映す未来』プロデューサーなど、さまざまなジャンルのコンテンツ制作に携わる。