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TOMO KOIZUMIがKバレエとのコラボに初挑戦!渡辺三津子と語るバレエとの共創を通じて伝えたかったこと
TBSは、3月14日から開催された、国内最大級のファッションとデザインの祭典「TOKYO CREATIVE SALON 2024」に参加しました。イベント内では、TBSが誇るクリエイター陣がトークセッションを行う「Creative Talk Stage コンテンツクリエイターズセッション」を開催。
3月20日には、ファッションブランド「TOMO KOIZUMI」デザイナーの小泉智貴さんと、ファッションジャーナリストで元『VOGUE JAPAN』編集長の渡辺三津子さんによる対談を実施し、「ファッションから考える未来」をテーマに語り合いました。この記事では、イベントの内容を一部公開します。
ジョン・ガリアーノのコレクションを見て恋に落ちる
渡辺 私が初めてインタビューさせていただいたのは、2019年『VOGUEJAPAN』の取材でした。小泉さんがファッションに興味を持ったのは、ジョン・ガリアーノというファッションデザイナーの作品がきっかけなんですよね。
小泉 クリスチャン・ディオールのオートクチュール(2003年Fall/Winter)ですね。当時は中学2年生、14歳でした。ファッションが好きで雑誌を見まくっていたときに、たまたまこのコレクションの写真を見つけて恋に落ちました。
渡辺 1枚の写真で恋に落ちるってすごいですよね。どんなところが衝撃的だったんですか?
小泉 一番は自分が今までファッションだと思っていたものが覆されたところです。これが本当のファッションで、ファッションの最高地点なんだと。このコレクションは当時でも少し異質だったと思うんですね。ウェアラブルではないものをファッションショーで発表することができた良い時代だったのかなとも思います。世界観を作ることだけに特化したコレクションだったので、その非現実さにも心が奪われてしまい、その夢を今も追いかけ続けている感じはありますね。
渡辺 大学ではアートを勉強なさったんですよね。
小泉 コレクションを見てから母に家庭用のミシンを買ってもらい、見よう見まねで服を作っていましたが、そのままファッションの専門学校に行くのは普通過ぎたので、もう少しいろいろな世界を見るために、大学は教育学部の美術専攻に進んで美術全般を広く学びました。教育実習も行ったので、教員免許も持っています。普通の道をあまり歩みたくない気持ちがありました。
渡辺 ファッションを型にはめて考えないという小泉さんのクリエイティビティの方向性は、進路を決めることにも影響してたのかなと感じます。
小泉 デザイナーとしてユニークな存在であり、ユニークなものを作りたいと思ったときに、その方法や通る道もすごく影響してくるだろうなと10代の頃から何となく思っていたので、人とは違う道を通ってオルタナティブなやり方で今まできた感じがあるかなと思います。
ケイティ・グランドに見出され、ニューヨークでショーをやることに
渡辺 大学時代にファッション業界への第一歩となる出来事があったそうですね。
小泉 大学ではファッションサークルに所属し、学園祭でファッションショーをやったりしていました。当時はドレスを作る技術はなかったので、ストレッチ素材を使って、色合わせや柄でオリジナリティを出していましたね。
2011年頃、大学の友人に僕が作った服を着てもらい、東京のクラブイベントに遊びに行ったら、ファッションスナップを撮られ、それを見たセレクトショップのオーナーさんから「この服をお店に置きたい」と連絡をいただきました。それを機に、大学4年生の頃、ブランドを立ち上げることになりました。
渡辺 大学卒業後、ファッションを続けようということで、いろいろなミュージシャンの舞台衣装を手掛けるようになったんですよね。
小泉 そうですね。自分はジョン・ガリアーノのコレクションに憧れていたので、ウェアラブルなものよりシアトリカルでエンタメ性のあるものを作っていたため、売れるというよりは衣装として貸し出されることが多かったです。一番最初に着られたのは、黒木メイサさん。そこからPerfumeの衣装をやって、衣装の要望がどんどん増えていき、ブランド立ち上げ直後から衣装のオーダーメイドの仕事を始めました。
2011年頃、Instagramが登場し、自分の作品を発表していたら、世界的なスタイリストのケイティ・グランドが「ここ数年見た中でベストなものだ」と連絡をくれたんです。その流れで「ニューヨークでマークジェイコブスがお店を貸してくれるから、そこでショーをやったら?」と言われ、その3週間後にはニューヨークに飛び立っていました。
渡辺 その話はデジタル時代のシンデレラストーリーみたいな言われ方をしていましたが、びっくりしませんでした?時代が変わった境目だったかなと思います。
小泉 ニューヨークでショーをやる前は、日本のファッション業界の人から自分の作ってるものはコスチュームであって、ファッションではないという扱いを受けていましたが、ショーをやってからは反応が変わったように感じます。日本の人は逆輸入的なものが好きなんだなとわかりました。
渡辺 そうだったかもしれないですね。当時は「TOMO KOIZUMIという人が、ニューヨークのマークジェイコブスのお店でショーをやった」ということが、一夜にして世界のファッション業界の人たちに広まりましたよ。
流行の震源地は科学のように特定することはできませんが、私の感覚でお話しすると、このショーの後は服に対するボリュームの考え方が画期的に変わったという感じがします。
特に若いデザイナーたちの中で、リアルな服とは少し違うボリューム感に挑戦する人が増えた気がします。その美しさをファッションで表現するということもありなんだという感覚をみんなが共有するきっかけとなったんじゃないかなと思います。
東京五輪開会式ではMISIAの衣装を担当
渡辺 2021年7月に開催された東京オリンピックでは、MISIAさんが開会式でTOMO KOIZUMIのドレスを纏いましたよね。あれは本当に美しかったです。白を基調に裾の方にあらゆる色があって、祈りのようなものが込められている感じがしました。
小泉 これは本番の30分くらい前まで現場の裏でみんなで手縫いで仕上げていて、本当に大変でしたけど、衣装デザイナーとして培ってきた経験をもとに頑張って作りました。
東京オリンピックは特別なオリンピックでもあったと思うんですよね。延期するのもなかなかないと思いますし、自分が住んでいる東京でやるので、やり遂げたいという気持ちが強かったです。受けるか迷ったタイミングもありましたが、自分が引き受けて全力で美しいものを届けたいという使命感を感じ、受けさせてもらいました。
このドレスがテレビに出る前、ジョン・ガリアーノとプロジェクトをやっていた関係で、『USVOGUE』編集長のアナ・ウィンターもメールをくれたんですよ。すごく嬉しかったです。
渡辺 歴史的な瞬間ですね。ジョン・ガリアーノとのコラボレーションは、お互いのドレスを交換してアップサイクルして、どんなものができるか試みるという内容でしたが、どうでしたか?
小泉 ジョン・ガリアーノが自分を指名してくれたと後から聞いてすごくびっくりしたのと、ちょうど1年前の3月にパリに行ったんですけど、そのときに直接本人とお会いして、デザイナーとしてのアドバイスなどを聞くことができました。夢のような時間を過ごすことができて、20年以上夢を追いかけてきてよかったなと思います。
渡辺 14歳のときに自分の人生を変えた人と対等にクリエイションのコラボレーションができるってすごいことだなと思いました。夢を叶えるために何か心掛けていることはありますか?
小泉 チャンスは二度と来ないかもしれないと思っているので、来たら必ず掴むということを必死にやっていたら今に至っている感じはありますね。好きなものを常に思い描いていると、自分の作るものもその世界に近付いていって、自然とチャンスが巡ってくるのかなと思ったりします。
完全なオリジナリティってなかなか難しいと思いますが、そのオリジナリティに挑戦しなければ何も起こらないので、トライする姿勢が大事だと思います。
TCSではK-BALLET TOKYOとの共創に挑む
今回の東京クリエイティブサロンでは、K-BALLET TOKYOとTOMO KOIZUMIのコラボレーションが見られました。非常に難しい取り組みだったと思いますが、いかがでしたか?
小泉 バレエの衣装をファッションデザイナーが作ることは前例があると思いますが、今回は「共創」というテーマをもとに、衣装のアイディア出しから演出までを手掛けました。初めてのことが多く、自分としても学びが多かったです。デザインしたものを実際に着てもらったら全然良くなくて、作り直すという作業の繰り返しでした。既存のバレエ衣装を越えるという観点ではなく、自分の美学とバレエの美学や身体性のバランスをとりながら、ベストなものを作れたかなと思います。
渡辺 制作期間は約2か月だったそうですね。注目すべきポイントは?
小泉 今回の作品のタイトル『La Fête』は祝祭という意味があります。世の中に色彩がある喜びは意外と過少評価されていて、忘れられがちなんじゃないかなという気付きから発信しました。なので、色彩に注目していただけたら嬉しいです。
渡辺 小泉さんのクリエイションは色が一つの主役と言ってもいいぐらい、表現の中心にあるんじゃないかと思います。以前、「色は誰のものでもないですよね」とおっしゃっていましたが、だからこそ誰のものでもあるし、すごく自由なものなので、生きていく上での喜びの表現というのは色と関係してるなって感じました。
今、多様性という言葉がいろいろなレベルでいろいろなところで言われていますが、色と自分自身の感性みたいなことを考えていくと、自由と喜びみたいなキーワードが浮かぶ感じがするんですよね。
小泉 色って当たり前のように身の回りにありすぎて、意外とその重要性を認識されていないとすごく感じます。例えば、着る服を選ぶときに色のバリエーションがあっても、無難な色を選びがちですが、たまには普段使わないような色を選んでみたりとか、そういう小さなチャレンジから自分の生活がより豊かになったり、変化があったりするのかなと思うんです。
渡辺 日々の生活に簡単に取り入れられるものなのに、案外疎かにしちゃってるところがありますよね。最後に、2024年はインプットの年にしたいとおっしゃっていましたが、バレエとの共創もインプットの一つでしたか?
小泉 アウトプットとインプットが同時に起こっているような体験でした。やっぱりモデルさんとは全然違うので、身体について考えるきっかけにもなりましたし、クラシックバレエの歴史や世界観について学ぶこともできました。それがもちろんファッションだけでなくアートの表現にも繋がっていくかなと思います。
今年は言語を超えて伝わるものを作っていきたいので、海外での活動もできたらいいなと思ってます。あとは、今までファッションデザイナーとしての知識がほとんどだったので、現地でギャラリーや美術館を見る機会も増やしていきたいと思っています。
渡辺 ファッション産業自体も変わり目に来てるんじゃないかなと感じていています。今までファッションデザイナーになるというイメージは、お洋服を作ってそれを皆さんに買っていただいてまた新しい作品を次のシーズンに向けて作るというようなサイクルだったのですが、それとは違うファッションのあり方、楽しみ方を小泉さんは目指してらっしゃると感じるし、領域を広げていく、時代をリードする人なんじゃないかなと思ってます。
小泉 ファッションはクリエイティブなことが求められるのに、意外と働き方の選択肢が少ないなと感じていたので、働き方や存在として多様性が認められるべきだなと思います。自分はメインストリームの働き方ではないので、オルタナティブな存在として誰かのロールモデルになっていけたらいいなと思っています。あとはやめないで続けることがすごく大事だと思うので、続けるために無理をしないよう心掛けたいです。
※5月11日・12日にBS-TBS『小泉智貴×Kバレエ ~密着90日!色彩が躍る舞台への挑戦』にて、K-BALLET TOKYOとTOMO KOIZUMIのショーの内容や密着した様子を放送する予定です。
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小泉智貴(TOMO KOIZUMIデザイナー)
2011年、千葉大学在学中に自身のブランドを立ち上げ、日本を中心に歌手や広告の衣装デザインを手がける。2019年、初となるファッションショーをニューヨークで開催。同年、毎日ファッション大賞選考委員特別賞受賞、BoF500選出。2020年、LVMHプライズ優勝者の1人に選ばれる。2021年、東京オリンピック開会式にて国歌斉唱の衣装を担当。同年、毎日ファッション大賞を受賞。
2023年、イタリアのブランドDolce & Gabbanaの支援によりミラノ・ファッション・ウィークにてコレクション発表。
ドレスデザイナーとして活動する傍ら、2022年からは美術作家としてもコンテンポラリーアートの製作を開始。2023年12月に初となる個展「Tomo Koizumi」を開催し、活躍の幅を広げ続けている。
渡辺三津子(ファッションジャーナリスト)
資生堂の企業文化誌『花椿』で編集者としてのキャリアをスタートし、10年強同誌の編集に携わる。その後、『フィガロ ジャポン』『エル ジャポン』の編集部を経て、2000年に『VOGUE NIPPON』(のちに『VOGUE JAPAN』に改称)へ。2008年より同誌編集長に就任し、本誌だけでなくウェブサイトの強化やデジタルコンテンツを推進。2022年に独立し、コンテンツプロデュースを初め、ファッショントレンド、ファッションと映画のテーマなども執筆。
※記事の内容は3月20日開催の「Creative Talk Stage コンテンツクリエイターズセッション ファッションから考える未来 TOMO KOIZUMI×渡辺三津子」で取り上げられた内容をまとめています。