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広瀬すず・杉咲花・清原果耶による希望の物語、映画『片思い世界』土井裕泰監督に聞く制作秘話

2025年4月4日(金)、映画『片思い世界』の全国上映がスタートします。監督を務めたのは、TBSテレビで約30年にわたって数々のドラマの演出を手掛けてきた土井裕泰です。

本作は、TBSドラマ『カルテット』(2017年)や、映画『花束みたいな恋をした』(2021年)などで、土井監督とタッグを組んできた脚本家・坂元裕二によるオリジナルストーリー。広瀬すず、杉咲花、清原果耶がトリプル主演を務めたことも話題で、強い絆で結ばれた3人の主人公それぞれの「究極の片思い」を通し、命のよろこびを描く希望の物語です。

公開を控え、映画に込めた思いや制作秘話、さらにこれまでのキャリアについて土井監督に聞きました。

前作とは全く違う方向を目指した、坂元裕二さんとの挑戦

映画『片思い世界』キービジュアル

『片思い世界』の企画はどのように始まったのでしょうか?

土井 最初に坂元裕二さんから、「『花束みたいな恋をした』と同じチームでまた映画を作りましょう」というお話をいただいたのが、きっかけです。当初から「広瀬すずさん、杉咲花さん、清原果耶さんの3人をメインキャストに迎えたい」という希望も出ていて、まだストーリーは決まっていませんでしたが、実現したら本当にすてきなことだと思いました。

どのように準備を進めていきましたか。

土井 坂元さんからは、最初は大まかな筋立てを書いたプロットが届きましたが、その時点で『花束みたいな恋をした』のような等身大のラブストーリーとは全く違う方向を目指していることがわかり、とてもワクワクしたんです。それからキャッチボールをしながら、時間をかけて少しずつブラッシュアップしていきましたが、脚本として完成する前に撮影の準備を始めなければならず、それは割と苦労したところです。想像力を必要とする、ちょっと特殊な話でもありましたから。

坂元さんの脚本を映像化するにあたり、意識されたことは?

土井 『片思い世界』は寓話性とリアリティーが共存している物語で、そのバランスの取り方、ベースとなる世界観をどう作るかが非常に大事だったんです。

今回は早い段階で、主人公である美咲(広瀬)・優花(杉咲)・さくら(清原)の暮らす家のイメージを、美術の原田満生さんと佐久嶋依里さんが、イメージボードにして提案してくれました。家は、通りから路地を入った洋館で、面した通りにある自動販売機の放つ光で、人物の実像がシルエットとして浮かび上がる瞬間が、虚実の境目になる──。そんなイメージを手掛かりにして、映像のトーンや衣装、ロケ地などを決めていきました。

映画は総合芸術といわれます。各セクションのプロフェッショナルが集まり、さまざまな視点や発見を合わせて作られるものなので、僕自身のイメージがただ具現化されるのではなく、「持ち寄られた皆のアイデアをどう一つの世界にまとめていけるか、当初のイメージをどれだけ超えていけるか」が、僕が映画に向き合う時のテーマなんです。

映画『片思い世界』メイキングショット

衣装にはどんなこだわりが?

土井 主人公3人の衣装は、この映画の世界観を決める非常に重要な要素です。既製服ではないハンドメイドな質感と、彼女たちが暮らす空間との統一感について、衣装の立花文乃さんがイメージ画を描き、坂元さんとも共有しながら、方向性が決まっていきました。

一人ずつの個性がちゃんと表現されながら、3人が揃ったときに、一つのトーンや世界が出来上がるように意識しています。

映画『片思い世界』場面写真
映画『片思い世界』場面写真

また、作中に出てくる児童合唱団の制服もオリジナルのものです。是非、注目していただきたいですね。

映画『片思い世界』メイキングショット

撮影はロケが多かったのでしょうか。

土井 関東を中心に、いろいろな場所で撮影しました。

映画『片思い世界』メイキングショット

作中でとても重要なシーンの一つとして登場した灯台は、千葉県銚子市の犬吠埼灯台で撮っています。灯台から日の出が見えること、実際に人が上がれること等の理由から決めました。台風の影響で前日まで悪天候でしたが、撮影の日の朝は奇跡的に晴れて、とても美しい夜明けの風景を撮影できました。

ご協力くださった海上保安庁の方たちも、「(撮影時期に)ここまで水平線に雲が立たないのは珍しい」と驚かれていました。ちょうど犬吠埼灯台が150周年を迎える記念の年だったこともあり、地元の方にはとても協力していただきましたね。

ちなみに、3人が立つ灯台の展望デッキは、広さの都合上、さまざまな角度から顔の表情を撮るのが難しく、セットで灯台の一部を同じ大きさで再現して撮影しています。

映画『片思い世界』メイキングショット

主人公3人の生々しい感情をシンプルに伝える演出を

撮影中、主演の広瀬さん、杉咲さん、清原さんは、どんな様子でしたか?

土井 今回、3人とは事前に役柄について特に細かい話し合いはしませんでした。難しい物語ではありましたが、これまで数々の作品で主役を演じてこられた方たちなので、自分たちがどう、この物語に向き合えばいいかというのはすでに理解されていると考えたからです。

本作では3人が12年間一緒に暮らしているという設定ですが、彼女たちがどうやって生きてきたかは、作中でほとんど描かれていません。ですので、その12年という時間を自然に埋めていくことが、この映画にとって一番大事なことだと、彼女たちも僕自身も認識していました。撮影現場では、カメラが回っていないところでも3人が常に一緒に過ごしていましたね。その時間に僕は立ち入らないように、ただ遠くから眺めていました(笑)。

映画『片思い世界』場面写真

演出する上で印象に残っていることを教えてください。

土井 3人が人にぶつかって倒れるというシーンがありますが、その動きをどう表現するかが非常に難しかったですね。いろいろな可能性があったのですが、最もシンプルでアナログな表現を選びました。アクション部にお願いして、マットレスを敷いた場所で3人に倒れ方や体の使い方を体得してもらいました。何気ないことではありますが、実はしっかりと準備して撮っているんです。

今回は、最初の打ち合わせの段階から「音楽をあまり入れずに俳優たちの芝居をシンプルに見せてほしい」という坂元さんからのオーダーがありました。チャレンジではありましたが、本作ではラジオから聞こえてくる曲や、ストリートバンドの演奏以外の、劇中で流れる音楽を少なくしています。3人の主人公たちの生々しい感情をそのままシンプルに受け取ってほしい、という思いがありましたが、実際、音楽で観客の感情を誘導する必要のないくらい、密度の濃い芝居を俳優たちが演じてくださいました。

映画『片思い世界』メイキングショット
映画『片思い世界』メイキングショット

特にこだわったシーンは?

土井 主人公3人も一緒に歌う合唱のシーンです。実は、僕は毎年、NHKの合唱コンクール「全国学校音楽コンクール」を見るくらい合唱が好きなんです。特に子どもの声で歌われるものって、ストレートに胸を打たれるというか、すごく力がありますよね。先ほど言ったように、今回は劇伴がほぼ入らない分、この合唱シーンの持つ意味はとても大きかったです。

オリジナル合唱曲の『声は風』は、坂元さんが作詞(作詞は明井千暁名義)、曲は何人かの方にお願いして、コンペ形式で選ばせていただいて完成させ、杉並児童合唱団に歌っていただきました。子どもたちの歌を初めて聴いたときは、自然に涙がこぼれたんです。この曲は、撮影中も本当によく聴いていましたね。終盤の合唱シーンに向けて、ひとつひとつのシーンを積み重ねていく上での「羅針盤」のように。

土井監督はどんな物語だと思いながら撮っていましたか。また、映画を楽しみにしている方に、どんなことを伝えたいですか?

土井 それでも私たちの人生は続いていくのだ、ということでしょうか。ある出来事により強い絆で結ばれた3人を描きながらも、横浜流星さんが演じた典真をはじめ、彼女たちの周囲の人々の話でもあります。

映画『片思い世界』場面写真

夜の公園で、バスケットボールをしたり、ダンスの練習をしたり、街をカップルで歩いたりする人々の中を、3人が歩くシーンがあります。普段は意識しないような、ごく普通のことが実はどれだけ尊いことか、ということが自然に伝わればいいなと思いながら撮影していました。

この映画は3人の女の子のとても小さな祈りの物語ですが、大きな実世界とちゃんとつながっている、という感覚があります。もしかしたら、今この世界であらゆる不条理や困難と闘っている人たちの「希望」のようなものになれるのではないか、と願っています。

映画『片思い世界』メイキングショット

坂元さんがインタビューで「棺桶に入れたい作品ができた、と思えた」と答えていましたが、土井監督は完成した映画を見て、どのように感じられましたか?

土井 今回は撮影中に本当に大変な出来事があって「完成しないかも」と思った瞬間もありました。一本の映画を作ることの大変さ、ありがたさが身に染みました。そんなことも全部ひっくるめて、この『片思い世界』という映画なんだなと思っています。僕だけでなく、関わってくれたすべてのスタッフや俳優さんたちの気持ちがぎゅっと詰まった特別な作品であることは間違いありません。一人でも多くの方に、劇場で見ていただきたいと心から思います。

TBS土井裕泰

ドラマ制作は、「答えがないもの」を追い求めること

ところで、土井監督がTBSに入社した経緯を教えてください。

土井 子どもの頃からテレビや映画が大好きで、憧れもありましたが、まさか仕事にできるとは思ってもいませんでした(笑)。大学生のときは大学の演劇研究会に入り、演劇に熱中していました。4年生になっても就職する気持ちを持てず、自分で学費も払おうと決めて単位を落として一年留年したんです。一年たったら気が済んだというか、結局「自立もしないで何か言ってもダサいだけだな」と気がついて、就活を始めました。初めてスーツを着たのは、大学5年目の7月でした。

就活では、マスコミ以外はほぼ考えていなかったのでテレビ局と出版社をいくつか受けました。その中で本当にTBSだけが拾ってくれたんです。そういう意味では縁も恩も運も感じていますね(笑)。

TBS入社後、比較的早い段階からドラマのディレクターとしてキャリアを積んでこられましたね。

土井 当時からTBSは、ディレクターも若手社員から生え抜きで育てていく、という環境がありました。ディレクターになったのはまだ20代のうちですが、それは出会った先輩たちのおかげだと思います。ADで仕事をする姿を見てくれて「ディレクターをやってみろ」と声を掛けてくれたプロデューサーや、出来上がった作品を見て次の作品に誘ってくれたプロデューサー…というように、たくさんの方に仕事の場を与えていただきました。

いい時期にいい出会いに恵まれていたんだと、あらためて思いますね。

ディレクターとして大切にしてきたことは?

土井 僕らは常に視聴率を背負って仕事をしていた世代です。そんな中で「思うような結果は出せなかったけれど、自分たちがすべきことはできたよね」と思えたドラマがありました。自分たちが面白い作品だと思い、お互いを信じて最後までやりきること。そうすれば俳優ともスタッフとも次につながると信じてきました。結局残っていくのは、人とのつながりですよね。

TBS土井裕泰

これまでたくさんの作品を手掛けてこられましたが、特に転機になった作品をあげるとしたら?

土井 『愛していると言ってくれ』(1995年)で、セカンドディレクターですが半分近い話数を撮ることになったんです。脚本家の北川悦吏子さんの執筆と撮影は全て同時進行。社会的に大きな反響をいただいたドラマでもあり、役者さんや北川さんをはじめとした現場の皆さんの思い、視聴者の方の思い、いろいろな思いがそれぞれ大きくて、時にかみ合わなくなるようなこともありました。主演の豊川悦司さんや北川さんと深夜にファックスを送って意見交換したりして、時間の許すギリギリまであらゆる人たちの思いを汲みとりながら作品を作っていきました。

ドラマディレクターは華やかに見えるかもしれませんが、ものすごく覚悟がいる仕事です。生半可な気持ちでは仕事ができないな、とこのドラマで鍛えられましたね。

それから約10年後、『いま、会いにゆきます』(2004年)で初めて映画を撮らせてもらいました。このとき、TBSという肩書を外し、ほぼ自分一人で映画のスタッフの中に飛び込むことにしたんです。当時はまだフィルム撮影でしたし、映画のことはやはり映画のスタッフに学びたいという思いや、この先どんな現場に行っても変わらず仕事ができるようになりたいと考えていたこともありました。

正直、なかなかハードな経験ではありましたが(笑)、この時からテレビドラマと並行して映画という軸を持てたことは、自分にとって大きな出来事でした。その後、『片思い世界』を含めて9本の映画に関わらせていただいています。

あとは、『カルテット』(2017年)も転機の一つですね。これは僕にとって久しぶりのオリジナルの連続ドラマでした。坂元さんとの作業も、松たか子さん、満島ひかりさん、高橋一生さん、松田龍平さんたちと作り上げていく現場も、本当に刺激と驚きがあって、楽しかったんです。「ああ、ドラマを作るって面白いな」とあらためて思えた瞬間に何度も出会えました。50歳を過ぎていましたが、いったん初期化してリスタートできたという実感もあって、これが『花束みたいな恋をした』や『片思い世界』にもつながっています。

脚本家の野木亜紀子さんとは、『空飛ぶ広報室』(2013年)・『重版出来!』(2016年)・『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)と原作のあるドラマでご一緒してきたんですが、野木さんは、原作のスピリットを映像作品という文脈の中でもう一度組み立て直し、なおかつオリジナルの要素を入れるのが本当に上手な方。キャラクターの捉え方と、原作者の伝えたい核の部分をものすごく正確に把握できているんですよね。ですので、「野木さんの書いたオリジナルのドラマが見たい」という思いがずっとあって、オリジナルを書くことを勧めていました。

それが後の『アンナチュラル』(2018年)の誕生にもつながったようで嬉しいですね。僕自身も、今年2025年1月放送の『スロウトレイン』(2025年)で初めて野木さんとオリジナルドラマを作ることができました。

こうしてみると、さまざまな経験や出会いをつなげてこられたことが、やはり自分の財産かなと思います。

手掛けてきたドラマ・映画の台本には、ディレクターデビュー当時に先輩から贈られた「土井裕泰演出」の印を表紙に押している
手掛けてきたドラマ・映画の台本には、ディレクターデビュー当時に先輩から贈られた「土井裕泰演出」の印を表紙に押している

普段、監督としてどんなふうにインプットされていますか?

土井 今は国内外のあらゆるコンテンツをいつでも自由に見ることができる、夢のような時代だと思いますが、時折そのことに息苦しさを感じることがあります。

数年前、コロナ禍の頃から登山をするようになったのも、そんな思いからでした。情報から離れて、いっとき自分の身体だけと向き合う時間は、しんどいけれどとても清々しいんです。まあ、スマホの登山アプリを見ながら登っているわけですから、完全なデジタルデトックスとは言い難いんだけど(笑)。それでも一回情報から自分を切り離すことで、新しくインプットする空き容量が生まれるような気がしています。

あとは、仕事仲間に限らず、いろいろな人と出会って話をすることです。

TBS土井裕泰

『片思い世界』をきっかけに、土井監督のようなドラマ・映画監督を目指す若者が増えるかもしれません。そんな方に向けて、メッセージをお願いします。

土井 学生時代の演劇経験が、ドラマの仕事にものすごく役立ったかというと、実はそうでもありません。あるとすれば、「この仕事には答えがない」ということを感覚としてわかった、ということかもしれません。

ドラマには恋愛やサスペンス、ホラーなど、いろいろなジャンルがありますが、結局描いているのは「人間」の何かの部分です。人間って多面体で、どこから見るのかによって見え方が全然変わる。答えがないものなんです。その「答えがないものをなんとか、わかろうとすること」が、ドラマを作ることではないかと思っているんです。

今の時代、作品を通じてあっという間に世界中の人とつながることができて、これからの作り手の人たちを本当にうらやましく思います。とはいえ、デジタルの普及に伴い、「どんな作品が好まれて、何分見たところで何人が離れて」といったことが全て数値化されてしまい、そのデータに伴って作ることが求められます。ビジネスである以上、仕方のないことだとは思いますが…僕はやはり「数値化できないものをドラマとして表現したい」という気持ちでいたいと思っています。

地上波のゴールデンタイムの連続ドラマ以外にも深夜ドラマや配信など、コンテンツ数が増えているので、若い人にはたくさんのチャンスがあります。ただ、ディレクターにはなれますが、大事なのはディレクターを続けていくことです。小さな仕事でも、いつか大きな出会いにつながっていきます。出会いを大切にしてください。

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TBS土井裕泰

土井裕泰
1964年生まれ。1988年、TBS入社。翌1989年、制作局ドラマ制作部(当時の名称)に配属。
以降、ディレクターとして『愛していると言ってくれ』(1995年)、『青い鳥』(1997年)、『ビューティフルライフ』(2000年)、『GOOD LUCK‼』(2003年)、『オレンジデイズ』(2004年)、『カルテット』(2017年)など数々の話題作を演出。
映画は『いま、会いにゆきます』(2004年)、『罪の声』(2020年)などで監督を務め、2025年秋には『平場の月』(主演・堺雅人)が公開予定。

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