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池袋暴走事故 遺族と加害者家族の対話に至るまで、TBS報道記者・守田哲

TBSだけでなく、全てのテレビ局はバラエティなどエンタテインメントコンテンツのみを送り出しているわけではありません。報道機関として日々、政治や事件などのニュース、ドキュメンタリーや調査報道なども放送しています。報道の最前線とはどんなところなのでしょうか。報道局社会部の記者を経て、現在は調査報道部に所属する守田哲に話を聞きました。

元は新聞記者志望、『筑紫哲也NEWS23』に憧れTBSへ

TBSで報道の仕事をするようになった経緯を教えてください。

守田 高校生の時に、父から「医者か弁護士になれ」と言われたんですが、あまり勉強に身が入らず、逃げるように本ばかり読んでいました。もう40年ほど前の本ですが、元新聞記者の本田靖春氏の『不当逮捕』を読んで、取材の奥深さに衝撃を受けたことが記者を目指すきっかけになりました。祖父のシベリア抑留の経験談をよく聞いていたことも影響しました。

入社試験は、新聞社よりもテレビ局の方が早くて、先に内定が出たのがTBSでした。当時は筑紫哲也さんが存命で、『筑紫哲也NEWS23』のリベラルな雰囲気に憧れましたね。

TBS入社当初は報道カメラマンをされていたそうですね。

守田 TBSの報道局では技術職採用でなくても、新入社員を報道カメラマンの部署に配属させる方針が今も続いています。映像がないとテレビは成立しません。取材が発生すれば、まずカメラマンが現場に行くので、豊富な現場経験を積めました。しかし、映像は照明が命です。その技術の深い部分を理解できず、先輩方には一生勝てないと気が滅入っていたところ、運良く中国・北京支局に赴任が決まりました。

海外駐在は、志望していましたか?

守田 行ければいいな、くらいに思っていました。北京には5年駐在しましたが、10年くらい滞在しないと中国社会は深く理解出来ないと考えているので、再度赴任を希望しています。

中国での仕事はどんなところが魅力でしたか?

守田 中国は非民主国家であるにもかかわらず、類をみない経済的発展を遂げました。その一方で、想像を絶する社会の歪みがある。中国人の価値観を掘り下げていくと極めて複雑な歴史意識があります。

タクシーのドライバーと雑談すると「文化大革命で下放されて塗炭の苦しみを味わった」など、そんな話を毎日聞く事ができました。取材中によく警察に拘束されましたが、その事実も新たな取材対象になります。興味が尽きない国ですよね。

TBS守田哲

社会部の記者の仕事は朝から晩まで…?

帰国後は社会部の警視庁担当に。事件の情報はどのように入手していますか?

守田 警察などの捜査関係者、業界関係者…ありとあらゆる人から聞きます。内部告発者もいます。いわゆる“夜討ち朝駆け”もやります。ですが、何十回会っても取材に応じてもらえないこともあります。

公開情報も徹底的に調べます。電話帳、登記簿、裁判記録、情報公開請求…凄腕記者は何年も前に役所が出した「熊出没情報」をヒントにしていましたね。

取材では情報提供者との関係が大切だと思いますが、どんなことを意識していますか?

守田 駆け引きをする局面もありますが…結局、自分をどこまでさらけ出せるかどうか。そうしないと相手が胸襟を開いてくれない。人間対人間ですから。偉そうなことは言えませんが…「丁寧な説明」に尽きると思います。「なぜ取材するのか、報道することにどんな意義とリスクがあるのか」。相手が納得するまで何回も説明します。一方で、人から信頼されるということには注意も必要です。記者が「情報提供者に良く思われたい」と考えると、都合のいい情報しか書けなくなりますから。人に頼らず公開情報を見て独自の視点からニュースを書くことも重要です。

TBS守田哲

報道を通じ、社会が抱える問題を明らかにする

2024年4月20日の『報道特集』では、“池袋暴走事故の遺族と加害者家族の対話”を放送しました。

守田 事件や事故は「時代の鏡」と言われます。取材を尽くすことで社会が抱える問題が見えてくる。裁判で大部分の情報が公になるのですが、内部の捜査資料だったり、加害者家族の現実だったり、記者にしか明らかにできない隠れた事実があります。

誹謗中傷の問題も深刻でした。無関係な人が加害者や被害者に言葉の暴力を振りかざす状況に強い問題意識を持っていました。対話に至るまで両者と粘り強く議論を重ねましたね。

加害者家族にはどうやって取材の許可を得ましたか?

守田 私は加害者本人に直撃取材をしていますから、加害者家族にとっては「最悪の記者」でした。それがスタートラインでした。
しかし、「加害者家族の取材ができなければ自分は記者としての存在価値がない」とも考え、何年もメッセージを送り続けました。加害者家族の支援者の方にも全面的に協力していただきました。取材の意義とともに、私が報道すれば「誹謗中傷を少しでも減らすことができる」ということも何度も説明しました。

ただ、世の加害者家族の大半が社会からの批判を恐れて、世間の目を逃れながら生きている。冷静に考えると今回の対話取材はかなり特殊なケースですし、本当の評価は数年後にならないと分からないと思います。

遺族の松永拓也さんが、遺品を初めて見せたのが守田さんだそうですね。関係性を築くのに苦労したと思いますが、なぜこの事故の取材にそこまで力を入れたのでしょうか。

守田 松永さんは、プライバシーをさらけ出す理由について「事故の現実を知って欲しい」と繰り返し発信しています。私は早い段階で、松永さんの思いが憎しみや恨みだけではないということを知る機会を得ました。例えば、高齢ドライバーの問題や犯罪被害者の休暇制度(※有給休暇ではなく特別に休暇を取得できる制度)の課題、民事裁判の二次被害の問題(※民事裁判において加害者加入の損害保険会社・代理人弁護士からの言動により被害者や遺族が受ける苦痛などが問題に)などを事前に知ることができました。

松永さんの取材を通じて「事件・事故の当事者が抱える感情的・制度的問題を一般化して社会に伝えることができる」と考えました。誹謗中傷被害も極めて深刻だなと、ずっとモヤモヤしていました。

この事故の取材だけでも相当な苦労があったと思います。ほかにも多くの事件や事故を取材されてきましたが、精神的な辛さを感じることはありませんか?

守田 この仕事をしていると、どうしても“9時5時”の勤務時間では終わりません。土日に取材をしても、一文字にもならないことがあります。しかし、慣れの問題もありますが、それを大変だと思った事はありません。取材対象の人に比べたら、所詮記者は安全圏にいますから。

一番辛いのは「あの時、休まずに取材していればもっといい原稿書けたよな…」などと後悔する時です。その後悔自体、意味がないので…また次の取材に取りかかって忘れるようにしています。

最後に、報道の仕事を目指す就活生に向けてアドバイスをお願いします。

守田 私は大した人間ではないので、特段アドバイスはできません。ただ「なぜ自分は取材をするのか」、その動機だけは徹底的に突き詰めた方がいいと思います。ハシゴを外すようで申し訳ないですが…取材も人生もうまくいかない事の方が圧倒的に多い訳です。仮に就職活動が希望通りの結果にならなくても、全く別の業界を経験してから転職した方が、幅広い視野の取材ができるかもしれません。あと、入社後はあまり上下関係に縛られない方がいいと思います。いい取材が出来るかどうかは、経験も左右しますが、年齢は関係ないですから。

TBSは自由な気風があり、特に『報道特集』は民放の最後の聖地だと思っています。今の社会で何が問題なのか、突き詰めて議論できる番組です。

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TBS守田哲

守田哲
2007年入社。報道カメラマンとして東日本大震災を取材し、その後中国・北京に約5年駐在(2011~2016年)。帰国後は社会部記者として警視庁記者クラブのキャップを務め、『報道特集』を経て、現在は特別報道班キャップ。

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