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オリンピアンからテレビ局員へ、TBS藤丸真世のキャリアを振り返る
2004年アテネオリンピックのアーティスティックスイミング(旧名:シンクロナイズドスイミング)で銀メダルを獲得した藤丸真世。引退後はTBS社員として仕事と子育てに奮闘しています。現在は秘書部で働きながら、2023年8月に開催される世界マスターズ水泳に向けて準備中です。バイタリティ溢れる彼女がTBSに入社したのは、なぜでしょうか。これまでのキャリアを聞きました。
TBS内定後は大学院でシンクロの歴史を学ぶ
引退後、TBSに入社した経緯を教えてください。
藤丸 現役時代、日本代表に選ばれるまでは「こんなにつらいのにスポーツをやって将来何になれるんだろう」と考えたことがありました。しかし、大学4年のとき日本代表に選ばれ、取材してもらうようになってからは驚くほど応援してくれる人が増えたんです。幼少期からとにかく上手くなりたい!と、一生懸命やってきたことが周りの人に力を与えている、笑顔で応援してくれる人がいる、と知ったときはすごく嬉しくて。自分にそんな力があるなんて知らなかった、私みたいに頑張っていても日の目をみない人たちがたくさんいる…そう思ったら、取材して多くのアスリートに日の目を当てたい!と思うようになりました。テレビ局ならそれが実現できる。テレビを見るのは好きだったので、当時ドキュメンタリー番組の中でも特によく見ていた『バース・デイ』を制作するTBSを受けました。
他局の就職試験も受けたんですか?
藤丸 他局どころか就職試験はTBSしか受けていません。実は、同時期に母校である日本体育大学の先生が「大学院に来なさい」と声をかけてくださって、大学院の試験を受けたんです。大学に残ってほしいと思ってくださったんだと思います。当時は、今からまた勉強するのは嫌だな、と思っていたので、内定後にTBSの先輩に相談したら、逆に勧められてしまい、進学することになりました。おかげでオリンピックが終わってやっと自由に遊べると思った内定中の1年間は大学院で勉強していたし、入社1年目は働きながら大学院に通う生活になってしまいました(笑)。
大学院では何を学んでいましたか?
藤丸 スポーツの歴史学です。当時はまだシンクロの歴史に関する論文がなかったので、第一人者になれると。ですが、それまではシンクロしかやってこなかったので、資料集めや論文を書くなんて初めてで…本当に大変でした。論文を書くために本や資料を読まなきゃいけないし、パソコンにも苦労しました。周りの方にも相当手伝っていただいて、入社前にすごく鍛えられたと思います。
オリンピックが終わった途端、ガラッと変わりましたね。
藤丸 環境は180度変わりましたが、「さて次は…」と考える余裕はなかったですね。TBS入社後は希望が叶ってスポーツ局に配属してもらい、ADとして中継に携わるなど忙しい日々を過ごしました。子どもを出産するまでは遊ぶ時間も一旦立ち止まって考える時間もなかったです。心の中では「ちょっと休ませて~」と叫んでいましたよ。ずっと走り続けている感じでした。入社して17年目の今は、子どもが2人とも中学生になったので、少し落ち着いた感じです。
入社後はスポーツ局へ、出産後は時短勤務の日々
TBS入社当社はどんな仕事をしてましたか?
藤丸 入社から12年はスポーツ局にいて、最初はADとして世界陸上や世界バレーの中継や、アスリートの密着取材などを担当していました。入社時はわからない言葉が多く、業界用語も不安だったので(笑)、常に電子辞書を持ち歩いて仕事していました。でも取材対象の方は、現役時代に合宿やオリンピックの選手村で知り合ったアスリートの方が多かったので、とっても融通が利きました。私だから撮れる映像もたくさんあったので、当時のスポーツニュースデスクにプレゼンしてニュースで特集してもらったこともあります。
藤丸さんには2人のお子さんがいらっしゃいます。出産後はどんな仕事をしていましたか?
藤丸 出産後はスポーツの業務推進部に異動しました。でも、どうしても現場に戻りたかったので、しばらくしてスポーツニュース部へ異動させてもらったんです。そこでは取材や海外のスポーツニュース映像の購入といった事務作業などをしていました。子育てしながらだったので、17時頃には帰らせていただいていました。ありがたかったです。
子育てしながらの業務はいかがでしたか?
藤丸 自分はもっと働きたいのにできなくて、すごく歯がゆさを感じていました。例えば、本当は大型中継に関わりたいと思っても「子どもが学校で発熱した」と連絡があればすぐに帰らないといけないので、「やりたい」と手を挙げるわけにはいかないな、と思ったり。子育てしながら働くには、やっぱりどこかで折り合いをつけなきゃいけなかったので、それが一番つらかったです。でも、子どもにとって母親は私しかいないと気付いてからは、区切りをつけられた感じですかね。
周りの反応はいかがでしたか?
藤丸 皆さんとても良い人たちでした。17時頃になると「早く帰って!」と言ってくれたので、背中を押されて帰っていました。当時のスポーツ局では、子育てしながら時短勤務していた人は私だけだったので、常に後ろめたさがありましたが、その分、日中は一生懸命働いて皆の役に立てるように頑張ろう、と。子どもがいても取材に出させてもらえたことには感謝してます。
時短勤務ができるのはいいですね。
藤丸 そうですね。今所属している秘書部には小さなお子さんがいる社員がたくさんいます。子育てしながらでも気持ち良く働けるように皆で協力しながら仕事をしているので、とても働きやすい環境だと思います。ただ、役員に関する仕事は膨大にありますし、担当役員のスケジュール管理は責任が大きい仕事なので、甘くはありません。
TBSの仕事に活かされている、シンクロや水泳指導の経験
藤丸さんは学校や企業での講演活動や、大学の講師もされていたそうですね。
藤丸 そうですね。オリンピックに出場したことが大きかったと思います。最初はテレビ出演が多かったですが、TBSに入社すると他局からは声がかからなくなりました(笑)。その後、しばらくしてから講演会や大学の講師なども依頼がくるようになりました。ただ、今でもそうですが、人前で話をすることが得意ではなかったので、自分には向いてないなと思ったんです。だけど、これも挑戦かなと考えて依頼があればすべてお受けしていました。話す順序や原稿の書き方、どうしたら人に伝わるのかなど、何度も繰り返し話をしているうちに身に付いたので、この挑戦が今の仕事にも結びついていると思います。
一番好きな水泳の指導は、今も時々幼稚園などでしています。子どもたちはすごく勢いがあるのでエネルギーを奪われてしまいますが(笑)、言葉だけでは通じない場合はどう指導するか、親御さんに伝えるためにはどう順序立てて話すか、どうやって進めていけば楽しんで身に付くのかなどを考えながら組み立てていくのは今の仕事にもつながってるなと思います。
シンクロの経験がTBSの仕事に活かされたところは?
藤丸 一歩踏み出すか迷ったときには挑戦を選ぶことや、くじけそうになったときに気持ちだけは絶対に負けないと考えられるところかな。あとは、まずは上手な人の真似をして、そこから自分流にしていくことや、目標を明確にすることですかね。それと、普段から挨拶をきちんとするとか、先輩を敬うといった社会人として基本的なことは身に付いたと思います。
現在は、世界マスターズ水泳に向けて準備を進めています。仕事と子育てを両立しながら練習するのは大変そうですが、時間の使い方で意識することはありますか?
藤丸 「気合い」と言うと体育会系みたいだけど(笑)、自分の中でやると決めたら必ずやりとげるように意識しています。例えば、私は毎日体を動かしたいって気持ちがどこかにあるんですよ。だから、18時に退勤できた日は子どもたちにごはんを作ってからプールへ泳ぎに行く。帰ってから寝るまでの時間は自分の時間だから、その間に洗濯物を畳んだり次の日の資料を読んだりしています。泳いだら結構さっぱりするので、うまく切り替えられるのかもしれません。
TBSグループは新卒・中途問わず採用活動に力を入れています。藤丸さんはどんな人と働きたいですか?
藤丸 私は、相手の気持ちを考えて行動できる人がいいなと思います。仕事の面では、「このリーダーは私に何をしてほしいのか」、困っている人がいたら「なぜ困っているのか」みたいに、相手の立場に立って考える力は仕事をする上で役に立ちますよ。
大学講師をしていた時に思っていたのですが、疑問に思ったことは素直に聞いてほしいですね。わからなくてもいいので、わかったふりをせず、質問してもらいたいです。
就活生に向けてアドバイスをお願いします。
藤丸 私みたいに、一つのことしかやってこなかったとしても、会社に入ってから学ぶ機会はたくさんあるし、できることも増えていくので安心してください。まずは今やっていることに一生懸命打ち込んでほしいです。
学生のうちに多くの人と触れ合うことで、学べることがたくさんあると思います。ぜひ、相手の気持ちになって考える癖をつけてみてください。そうすると、また違った角度でモノが考えられるかもしれません。
藤丸真世
2004年アテネオリンピック・アーティスティックスイミングで銀メダルを獲得。2006年にTBSテレビ入社。スポーツ局12年、その後広報部を経て現在は秘書部にて勤務。仕事と子育てをしながら、オリンピアンとしても多方面にて活躍。今年は世界マスターズにも挑戦。