• People

TBS Podcast番組『N93』プロデューサー吉田周平の挑戦

TBSラジオでは、Podcast番組『N93』を配信中。お笑い芸人のきしたかの、パンプキンポテトフライ、好井まさお、カラタチ、金の国の5組が平日各曜日のパーソナリティを担当し、TBSラジオの地上波枠を目指して視聴数やスポンサー獲得などを競う番組です。この新しい形の番組を手掛けたのは、TBSラジオの吉田周平。『N93』の制作秘話や、仕事の魅力などを聞きました。

染料で白を表す『N93』に込めた思いとは

『N93』の企画はどうやって生まれたんですか?

吉田 『N93』は、2022年10月末頃、TBSラジオ会長の三村孝成さんとweb3スタートアップの代表の方と3人で会食していたときに出てきた企画です。翌日、企画書を出したら、すぐに企画を進めていくことになりました。視聴回数やスポンサー獲得数などで競い合う仕組みは芸人さんの番組に向いていると思ったのと、Podcastを強化していくという会社の方針とも合致して実現につながったと思います。

番組タイトルの由来は?

吉田 塗料の色でN93は白を表すので、「まだ色のついてない芸人さんたちに色をつけていこう」という意味があると公式ではお伝えしています。

本当は、TBSラジオにN93という会議室があり、最初はそこで収録して地上波放送に向けてスタジオで撮れるように頑張れ!という思いもあります。結局は全組スタジオで収録していますけどね。

番組パーソナリティの5組はどうやって選びましたか?

吉田 曜日ごとに5人のディレクターと5人の作家さんでやっていて、各自一緒に番組をやってみたい人を選びました。条件としては、今後、M-1グランプリやキングオブコントのファイナリストになりそうな人で、まだなってない人、なおかつ芸歴15年以下の人です。皆さん、今年の賞レースに出てくれたらいいなと思っていて。

好井まさおさんだけオーバーエイジ。芸歴18年目なんですけどピンとしては1年目なので特別に入ってもらってます。皆さんテレビでの露出も増えているのでとても期待しています。

TBSラジオ吉田周平

『N93』の企業版?営業時代はピッチイベントの企画も

吉田さんがTBSラジオを志望したのはなぜですか?

吉田 実家で暮らしていた頃、自宅でずっとラジオが流れていて、ラジオは本当に生活の一部という感じだったので、なんとなく受けてみました。

当時はマスコミなんて受かると思っていなくて、就職活動のときは地元の企業とかに受かればいいなという気持ちでした。採用募集してたラジオ局はTBSラジオしかなかったですし、記念受験のつもりでした。だからTBSラジオに就職が決まったときは家族も喜んでくれて、特に父はいまだにラジオの感想を送ってきてくれます。

入社当初はどんな仕事をしていましたか?

吉田 入社から11年間は営業部にいました。1年目はデスク業務で、タイムスポットといって、いわゆるCMをどこに入れるかといった枠管理など雑務をしていました。2年目からは外勤で、スポンサーを探していました。

それと、ピッチイベントの企画も行いました。優勝した企業が数年後スポンサーになって戻ってきたらいいなと思って始めましたね。『N93』の企業版というイメージです。2回やったところで異動になってしまったので、誰も意思を引き継いでくれずに終わってしまったんですけど(笑)。

11年って長いですね。

吉田 営業部に11年もいたのは僕が最長みたいです。2~3年前までは制作に異動したい気持ちもありましたが、子どももできたので生活リズムを変えたくなかったので「制作にだけは行かせないでほしい」と人事面談で伝えていました。ところが、2021年1月から制作に異動することになりました。

TBSラジオ吉田周平

TBSラジオなら、多角的な視点で変革期を迎えられる

現在は制作部に所属する吉田さん。プロデューサーになったのはいつ頃ですか?

吉田 ワイド番組のプロデューサーになったのは、異動から1年後くらいですね。30分番組は最初からプロデューサーでしたが、それは請求書の処理だったり、営業との折衝だったりで、現場で指示を出すことはありませんでした。

最初の1年はディレクター業務で、異動の翌週から卓を触っていました。制作の大ベテランの方の替わりだったので、下積みなしでいきなりやることになってしまって。CM押せなかったり、時間を読み間違えて放送事故が起きそうだったり…当時は怖くてしょうがなかったです。

今では『N93』や『ジェーン・スー 生活は踊る』、『金曜ボイスログ』、『OVER THE SUN』、『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』、『明治チョコレート効果 presents 清塚信也 Xタイム ラジオ』など約20個の番組を担当するようになりました。

異動して生活は変わりましたか?

吉田 変わりました。でも上長に家庭の事情を説明して、生活リズムのいいところにつけてくださったので、まっとうな生活を送っています。強いて言えば、放送や配信で毎日何かしらコンテンツを出さなきゃいけないのは大変ですけど、もともと制作志望だったので楽しいんですよね。街中で『OVER THE SUN』のTシャツを着てる人を見かけたり、飲み屋で一緒になった人がリスナーさんだったりすると嬉しいですし。

ただ、土日はイベントがあったり、ゴールデンウィークや祝日にも放送は通常通りあったりするので、家庭的には不満があるかもしれませんけど。

営業での経験が活かされているのはどんな部分ですか?

吉田 ラジオの営業は既存の番組の提供先を見つけることが1番多く、スポンサーさんとの番組制作の企画をよくしていたので、その経験は今も活きてるんじゃないかと思います。制作部の皆さんはそれぞれ自分のやりたい企画をやっていると思いますが、大枠を作るのは得意だと思います。

ラジオは変革期を迎えていると聞いています。吉田さんが入社して13年経ちますが、TBSラジオも変わったと思いますか?

吉田 そうですね。radikoが始まり、エリアフリー、タイムフリー、そしてPodcastと聴かれる環境も大きく変わったと思いますし、社風としても古き良き昭和のラジオ局っぽさがなくなったというか、中途入社の方も増えいろいろな業界のエッセンスを取り入れられていると感じます。僕自身、変革期の中心として色を出していきたいですね。

TBSラジオに入りたい若者に向けてアドバイスをお願いします。

吉田 ラジオ局に入りたいのか、ラジオ番組を作りたいのかで違うと思います。TBSラジオはハウジング事業やイベント制作もしているし、僕みたいに営業に10年いる可能性もあるので、番組を作りたい人は制作会社を目指した方がいいです。TBSグロウディアも含め、制作会社はたくさんありますから、いくらでも道はあると思います。

でもあえてTBSラジオに入りたいなら、ラジオ番組を通じて何をしたいのか、音声を起点とした全てのコンテンツをどうしたいのかを考えた方がいいと思います。TBSラジオは多くのリスナーに聴かれている局なので、リーダーシップを発揮しやすいですし、そういう気持ちを持った人に来てほしいです。

TBSラジオ吉田周平

吉田周平
TBSラジオ 事業創造センターコンテンツ制作担当
中央大学法学部法律学科卒。2010年TBSラジオ新卒入社。
11年営業セクションを経験した後、2021年から番組制作を担当。
地上波、Podcastなどの多くの番組制作を担当している。

本サイトは画面を縦向きにしてお楽しみください。