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水曜日のダウンタウン、エガフェスなどを手掛ける田邊哲平の軌跡
テレビを取り巻く環境が激変する昨今、TBSは異業界から転職してくる社員が増えています。コンテンツ制作局の田邊哲平もその一人です。彼はどんな思いがあってTBSに入り、将来はどう考えているのでしょうか。
センター試験を4回受験するも、志望先には受からず…
田邊さんがテレビ業界を志したきっかけは?
田邊 僕は昔からぜん息を患っており、体が弱かったので幼少期はテレビをよく見ていました。漠然と医者になりたくて医学部を目指し、センター試験を受けたのは全部で4回。諦めずに仮面浪人もしましたが、結果的に工学部に進学することになります。
医者が患者を治して患者を楽にするのって、結局患者の中で何が起こってるのかを調べて、教えてあげる仕事なんだと。それってテレビも同じで、世の中で起こっていること知りたいことを、テレビの中の人が調べて教えてくれる。テレビにもそんな影響力があると思い、テレビ業界に興味を持って、ADとして働き始めました。
というのも、僕は大学卒業後は大学院に進学する予定でしたが、仮面浪人をしていた半年分の学費を払ってなくて卒業できなくて。半年間やることがなくなっちゃったんです。
ADの仕事はいかがでしたか?
田邊 最初はラグビーの中継に行くように言われましたが、テレビ局の中で働きたくて断りました。生意気ですよね(笑)。でも、何日も頼み込んで働かせてもらうことになり、そのときの熱意が伝わって、報道のADを担当させてもらうことになりました。
ADをしながら新卒での就職活動をしていたし、面接官も知ってる方だったので、正直、多少のコネでそのテレビ局に入れるだろうと期待していました(笑)。でも、いかにそれっぽく喋ろうが力不足は明らかで、通用せず、結局他局も含めてテレビ局は全滅。考えが甘かったです(笑)。
そんな中、内定を出してくれたのがNTTドコモです。当時はガラケー全盛期ながら、通信と放送の融合が始まろうとしていました。就職面接で「インターネット通信を通して映像を個人のデバイスに届ける仕事がしたい、“通信と放送の融合”時代に僕は活躍できます!」と話し、放送の経験がある僕に興味を持ってくれたんだと思います。
ドコモではどんな業務をされていましたか?
田邊 1年目からサービス企画を担当し、2年目には映像配信事業に参加させていただきました。事業企画検討に積極的に参加していたら、エイベックスとの合弁会社に出向してサービスの立ち上げをすることになりました。のちのdTVです。主にサービス企画や戦略、開発、運用を担当していました。
ローンチから5年で500万人会員規模のサービスとなり、単純計算で月に約25億円の収入ができました。その後、出向から戻り、軽い気持ちで複数の転職サイトに登録したら、有難いことにTBSからスカウトがありました。
ドコモで順調だったのに、転職を考えていたんですか?
田邊 正直、半々でした。10年働かせていただいて、それなりに活躍できているつもりだったし、上司の皆さんともとても仲良くさせてもらっていましたから。でも、TBSの方と話したらすごく刺激的で、よりコンテンツに近い場所へ近い場所へとシフトしていくようなイメージで、2018年にTBSに転職することにしました。
TBSでは配信事業で利益をもたらし、バラエティ番組のプロデューサーに
TBS入社後、最初は何をされていましたか?
田邊 最初はメディア事業部で、配信サービスに番組を提供して対価を得るビジネスに携わっていました。当初から制作を志望していましたが、やりたいと言ってやらせてもらえる世界ではないので、こいつは現場へ配属した方がいいと会社に思ってもらう必要がありました。
実は僕、面接のときに、TBSの新たな収益の柱として「配信事業で50億円の営業利益を作る!」と言ったんですよ。だから、この数字を目指して収益を伸ばすことに注力しました。その後、時代や様々な要素のおかげで事業規模が大きくなり収益もかなり増えたことで、何となく自分としての区切りができて、希望を出し2021年7月にコンテンツ制作局へ異動しました。
僕の強みはアプリやサーバーなどのシステム開発・運用の知見があることや、ビジネス算定ができることだと思っていましたが、制作現場ではまぁ無力ですよね(笑)。だからまずはゼロから、というより若くないのでマイナスからのスタートでした。最初は右も左もわからず、すごく苦しかったです。
特に何が苦しかったですか?
田邊 全てにおいて判断や検討のスピードが速くて短いことです。ドコモにいたときは半年後とか1年後にリリースするものを丁寧に仕込んでいましたが、TBSのメディア事業部ではそのスパンが月単位になり、制作では週単位になった。来週オンエアがあるから、1週間しか猶予がない。そのスピードに慣れるまで時間がかかりました。
周りのスタッフさんも、今思うと僕にすごく気を遣っていたと思います。38歳で未経験のプロデューサーが急に来たら、普通は嫌ですよ(笑)。もちろんその自覚はありましたし、ADから始めよっかと言われても喜んで受けるつもりでした。
そこからどうやって軌道にのせていくんですか?
田邊 僕はドコモ時代から3ヶ月単位で目標とかテーマを立てて働くようにしていて、制作に入った最初の3か月は何もわからないのでインプットの時期としました。次の3ヶ月は特番で10月に『お笑いの日』、12月に『お笑いアカデミー賞』に携わらせてもらい、多少アウトプットすることができました。その次からの時期は、自分で能動で仕掛けたいという目標を立て、そこでご縁があり実現できたのがエガフェスでした。
エガフェスを開催した経緯は?
田邊 dTVに携わっていた時に、『がんばれ!エガちゃんピン』という江頭2:50さんの番組が大好きで、自分が制作側になった暁には是非江頭さんと仕事がしたいと思っていました。そんな中でご縁があってエガフェスのお話が挙がり、当時すでにYouTubeで盤石の人気を誇っていらっしゃった「エガちゃんねる」にTBSがお力添えすることで、新たなエンタメが生まれるんじゃないかと確信があったので、一念発起して社内を駆けずり回って開催にこぎつけました。伝説になるような過激なパフォーマンスを危惧する声も多くあり、社内オーソライズを取ってからもかなりの重圧をかけられましたが(笑)、なんとか実現にこぎつけることができました。
結果、定員満員の約2,000人が来場し、2万人弱が配信を見てくれた。江頭さんご本人やスタッフさんたちも楽しんでくれた。僕たちも相当楽しんだ。こうして無事にエガフェスを終え、異動して1年で自分が仕掛けたコンテンツを世に出すことができました。僕としてもTBSとしても初めてのことだらけだったので、とんでもなく良い経験になったと思います。
エガフェスの企画と並行して、番組のプロデュース業務もありましたよね?
田邊 はい。この時期はすごく大変でした(笑)。今、担当しているのは『水曜日のダウンタウン』、『オールスター後夜祭』、『クイズ☆正解は一年後』、『集まれ!内村と◯◯の会』、『有田ジェネレーション』など。たくさん任せていただいているのは、能力とかではなくただただ使いやすいからだと思います(笑)。
プロデューサーって自分がゼロイチで立ち上げて、番組演出にも関わるイメージがあるかもしれませんが、それが全てではないと感じています。自分のアイディアじゃなくても、それを実現させていくこともプロデューサーの仕事ですし、僕はきっと面倒なことをめんどくさがらずにやるという実行力や推進力を評価されて採用されたと思っているので、それを発揮するにはこのポジションは理に適ってるなと、自分では妙に納得していたりします。
TBSのキャリア採用はより門戸が広く、得られる能力も多彩
今後のキャリアはどう考えてますか?
田邊 僕は、観たい人が観たい映像、あるいは「これを観てほしい」という何らかの強い思いがある映像を過不足なく作り、それをちゃんと観たい人にお届けしてきちんと対価を得て、その対価を作った側に戻し、さらに良いものを作ってもらう、というこのエコシステムの構築を目指していて、それができる場所を探し続けると思います。この考えは社会人になった当初から変わっていません。TBSにキャリア入社した立場として、TBSがより良い会社になり、TBSを通して映像制作現場と視聴消費者がより豊かになることに、2ミリぐらいでも影響を与えられたらいいなと思います。
TBSグループをはじめ、テレビ業界を志望する若者に向けて、アドバイスをお願いします。
田邊 僕が2008年に社会人になった当時は、医者や弁護士になったりテレビ局や総合商社に入れたら人生最高だと言われていました。でも、僕はもうテレビ局員が特段偉いとは思いませんし、職業によって羨ましさを感じることもありません。大事なのは、中で何をやるか。TBSではいろいろな能力が求められるし、得られる能力も多彩だと思います。
ただ何かに憧れて漠然とテレビ業界を目指すのもいいですが、業界の中で何をやるかをより解像度高く見えている人の方が、僕たちも嬉しいし、生きやすいと思います。ぜひテレビ業界で実現したい“何か”を持って、テレビの世界に来てください!今、気が付けば僕の周りにはとんでもない番組作りのプロ、才能とセンスの塊みたいな人がゴロゴロいます。そんな中でも僕がここで役割をいただけているのは、実現したい“何か”を持って日々それに向かって愚直に進めているからだと、自分では思っています。テレビ業界の仕事は楽しいですよ!
田邊哲平
バラエティ番組プロデューサー。1982年生まれ、大阪府出身。
大阪大学大学院を中退して2008年に通信会社に新卒入社、サービス立ち上げや企画を担当。
2018年にTBSテレビに入社。配信事業の収益改善やDX推進に従事した後、2021年よりコンテンツ制作局で番組プロデューサーとして多忙な日々を過ごす。