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目指すはTBSの三河屋さん!業務のDX化を担う、ICT局・武田拓哉の挑戦

TBSには、全ての仕事を最適化、合理化、進化させていくための環境を構築していく、ICT局(Information & Communication Technology)と呼ばれる部署が存在します。具体的にどんな仕事をしているのでしょうか。ICT局で働く、TBSグロウディアの武田拓哉に話を聞きました。

営放システムやスケジュール管理など、40以上のシステムを担当

武田拓哉


現在の業務内容を教えてください。

武田 一つは総務や経理、制作、プロモーション部など、TBS内のいろいろな部署で働く人たちが日々の業務で困っていることを聞いて、改善策をシステムベンダー(メーカー)に伝える仕事です。僕はテレビ局やTBSの独特のルールを知っているし、元々SEをやっていたのでプログラム言語もわかる。だから、TBSの皆さんとプログラマー(メーカー)の間に立ってやりとりすることが多いです。大谷翔平選手の通訳を担当する水原一平さんをイメージしてもらえたらわかりやすいと思います。

また、自分で手を動かしてシステム開発することもあります。世の中的には社内SEというポジションですね。

TBSで使われているシステムのうち、40個以上を武田さんが担当していると聞きました。具体的にどんなものですか?

武田 一番大きいのは、放送局に必要不可欠な営放システムです。その中でも特に、スポンサー(代理店)や制作からCMや番宣を受け取り、素材を放送できるように管理したり、CMや番宣の放送されるタイミングを決めたり、どのCMをどの順番で放送するかを割り付けたりするCMシステムは長年担当しています。例えば、スポンサーの順番が毎週異なるようにしたり、競合他社が並んだりしないようにします。人間が作業するので、やっぱりミスが出てしまう。それをシステムでチェックをしています。

他には、開局(1955年)からの全ての番組の情報を管理するシステムも担当しています。これには主な内容、出演者やスポンサー、使用楽曲などが全部メタデータとして残っているので、急遽特番を組むときや、DVD化や海外販売、配信などの二次利用するときに活躍します。

マニアックなものだと、役員のスケジュール管理システムですね。これは、秘書の方から「スケジュール管理が便利になるシステムはない?」と相談があったのがきっかけで始めたものです。このとき、僕はGoogleカレンダーを提案しました。今、TBSの皆さんはGoogleカレンダーを使っていますが、実は最初に導入したのは役員なんです。これまで月曜日の朝に会議があった場合、日曜の夜に役員が秘書さんに電話していたそうですが、その業務がなくなったのが大きかったようで、喜んでもらえました。嬉しかったですね。こういったシステムは若手が先に使い始めるけど、上司が使ってくれないという話がよくありますが、Googleカレンダーの導入は逆に役員から始まったんです。おもしろいですよね。

ICT局の皆さんは、一人40個くらいのシステムを平均して担当されているんですか?

武田 いえ、平均すると一人10個くらいだと思います。僕は一人しか使ってないようなマニアックなシステムも多いです。そんなシステム、必要あるの?と思うかもしれませんが、その人が退職してしまったら、業務が途絶えてしまうので、システム化することによってデータを残せるし、後任の人でも同じ操作で作業ができるので、必要なんですよね。

業務のDX化やTVerのリアルタイム配信、被災地支援に貢献も

武田拓哉

TBS放送センター内の大型モニタ「ケイジくん」というシステムも担当されています。これはどんなシステムですか?

武田 放送センター内の掲示物をデジタルサイネージとして表示するシステムです。以前は高・好視聴率御礼の掲示や番宣ポスターなどを紙で掲示していましたが、コロナになって紙を貼りに来るためだけに出社してた人がいました。しかも、曜日が変わるごとに一枚ずつずらさなきゃいけない上、それが数か所ありましたので大変だったようです。ケイジくんなら、ウェブで操作すれば一気にアップできるので、これまでの業務が一気に楽になったと聞きました。最初は意識していませんでしたが、業務のDX化につながりました。

ケイジくんが開発された経緯は?

武田 元々、「はるすけ」というTBS放送センター内の、番組制作にかかわる「貼り紙」の作成や、貼り出し業務をウェブシステムによって置き換えた、デジタルサイネージがありました。出演者の皆さんに楽屋案内をするためA4サイズ紙、通称「バリ・おはがみ」を出演者ごとに作成・印刷し放送センター入口4か所と楽屋前に掲示、終わったら回収していましたが、それが大変だということで、まずははるすけができました。ケイジくんはこれを元に開発したので、半年くらいで完成しました。

TVerのリアルタイム配信の立ち上げも担当されていましたね。

武田 それは、番組表のデータを手で打つのは効率が悪いので、編成表案も持つ営放システムとの連携の部分を担当しました。なるべく低コストでやるように指示があったので、みんなで手を動かしていた記憶があります。みんなそれぞれ得意分野があるので、集まって半年くらいで実装できました。

論文も書いていたそうですが、これはどんな内容ですか?

武田 2010年頃にやっていた、エリア放送についての論文ですね。当時はワンセグを使ってスマートフォンでテレビを見れた時代だったので、ホワイトスペースという小さなエリアで放送局を起こすことができました。これを利用して、僕は特定の場所にいる人だけが見れるテレビを作りたいと思いました。そこで、サカス広場にブースを作り、お子さんがアナウンサー役をして、その様子をご家族が自分のスマホで見れる体験イベントを行いました。実はこれ、サイネージの走りなんです。これは災害が起きた時に役に立つと思ったんですよ。例えば、「地震が起きました。〇〇に逃げてください」と地震が起きたエリアにいる人だけに向けて、放送を瞬時に切り替えられるので、避難所の案内を出せば、逃げられます。

その後、東日本大震災が発生し、福島県南相馬市が第一原発の被害に遭ったとき、僕のアイディアが採用されて、『南相馬チャンネル』ができました。市役所にアンテナを立て、仮設住宅のテレビだけに電波を届け、放射線量の情報や市長さんからのメッセージを放送していました。

僕も現地に行きましたが、船がひっくり返っていたり、土管が道路から出ていたりと大変な状況でした。だけど、南相馬チャンネルが放送されているのを見て、作っておいてよかったと思いました。この体験があるので、システム開発はこれからもやっていきたいですね。

将来はTBSの三河屋さんになりたい

今ではTBSの何でも屋さん的な存在の武田さん。将来は何を目指していますか?

武田 僕は他局ですが『サザエさん』に出てくる三河屋の三平さんのようになりたいと思っています。三河屋さんって、サザエさん家の裏口から入り、「そろそろ醤油切れてませんか?」「新しいお酒入ったんですけどどうですか?」と言いながら入ってきますよね。それも、サザエさんたちにとってちょうどいいタイミングで。

システムエンジニアもそうであるべきだと思っていて、困っている人を見かけたら、「今こういう技術あるから、検討してみませんか?」と提案する。そして、三河屋さんは「この醤油使ってこういう料理いいですよ」「使ってみてどうでした?」って、フォローしますよね。僕らもまさにそれと同じで、投げっぱなしではなく、「その後どうですか?」「不具合起きてませんか?」とフォローしています。やってることは同じだなって思うんですよ。ちなみに三平さんは僕と同じ山形県出身ということもあり、親近感を抱いています。

今後の展望はどう考えていますか?

武田 これからもシステム面で困っている人をサポートしていきながら、新たにおもしろいシステムを作っていきたいです。また、最近では若手社員をどう育てていくか意識するようになったので、人材育成にも力を入れたいと思っています。

武田拓哉

武田拓哉
山形県山形市出身、国立の大学院工学研究科を修了後、2000年東芝のソフトウェア会社に入社し、放送設備システムの開発に従事、地デジのタイミングもあり日本全国行脚し、2009年TBSサービス(現TBSグロウディア)に入社し、TBSテレビのシステム担当として40を超えるシステムを担当。4年前に始めたヨガを日課とし、心と身体を整えている。

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