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きっかけはゴーギャンの「私記」…TBSスパークル匂坂緑里が通信簿の少女を追った6年間

TBSドキュメンタリー映画祭 2023」には、JNN各局の傑作ドキュメンタリーが集結。令和4年度文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門優秀賞を受賞した『通信簿の少女を探して ~小さな引き揚げ者 戦後77年あなたは今』もラインナップに含まれています。

同作は、画家ゴーギャンの古書に挟まっていた通信簿の持ち主を追っていくドキュメンタリー。監督を務めたTBSスパークルの匂坂緑里が撮影を振り返ります。

リサーチのために手に取ったゴーギャンの私記がきっかけに

本作は匂坂さんが購入した本に挟まっていた通信簿の持ち主を探すドキュメンタリーです。そもそもこの本に出会ったきっかけは?

匂坂 2016年に「ゴッホとゴーギャン展」という展覧会の関連番組『ゴッホとゴーギャン ~二人の画家が椅子に込めた思いとは』を作ることになり、ゴッホの死の理由を調べました。ゴッホの本はたくさんありますが、もう少し違う角度から知りたいと思い、ゴッホと一緒に暮らしていたゴーギャンの本で、なおかつ日記に近いものを探していたんです。それで、ネット通販で見つけた『ゴーガン 私記』を購入しました。

通信簿を見ると、昭和23年の別府市の小学6年生の少女のものだとはわかりますが、調べても持ち主が見つからない可能性もありました。それをドキュメンタリーとして完成させた、その根気良さがすごいですね。

匂坂 「すごい執念だね」とよく言われますが、実はどうしても本人を見つけて番組にしたいと思って始めたのではなく、通信簿があったからたどってみただけなんです。普通は見つからないですよね。でも、いつもやめようとするタイミングでなにかしらヒントみたいなものが目の前に置かれたんです。その繰り返しでたどり着いたので、自分が主体的に動いた感覚は全然ありません。探すのをやめさせてくれない不思議な力を感じました。

完成まで6年かかりました。どんなところに苦労しましたか?

匂坂 大きな苦労は3つありました。最初は少女が見つからなかったことですね。リサーチで別府に行ってお金も使っちゃったし、プロデューサーからは「見つからないと番組にならない」と言われるし、どうやって弁償しようかと思いました(笑)。

次は、幸い少女が見つかったものの、家族がプライバシーを侵害してほしくないということで、なかなかご本人にお会いできませんでした。膠着状態が続き、放送日の1ヶ月を切る頃まで撮影できなかったのはかなり痺れましたね。

最終的にご家族がOKしてくださって、急いで撮影しましたが、編集に入る前日にフェスに行ったADさんがコロナウイルスに感染してしまいました。どう考えても徹夜で編集しないと間に合わないタイミングだったのに、ADさんが2人もいなくなってしまったのは大変でした。幸い、私や他のメンバーは感染しなかったのでなんとかなりましたけど。

TBSスパークル・匂坂緑里
TBSスパークル・匂坂緑里

通信簿の少女にたどり着き、新たな野望を抱く

別府の取材で特に印象的だったのはどこですか?

匂坂 別府の方々は皆さんすごく協力的でした。特に、飛び込みで行った喫茶店のお客さんたちは、心当たりのある方に電話をかけてくれたり、家から古い名簿を持ってきてくれたりと、不思議なくらい協力してくれました。私が勝手に少女を探しているだけですが、皆さんも少女を探すことによって自分自身の何かが見つかる予感があるから参加してくれるのかな、なんて思いました。

“通信簿の少女“の閑子さんとお会いしてどんな印象でしたか?

匂坂 通信簿に書かれていたとおりの方だと思いました。すごく頭脳明晰で、大陸育ちのおおらかさを持つ、だからこそ物事をはっきり言い、クラスで孤立して「人望がない」と書かれてしまったのでは?閑子さんは家庭の事情で大学には進学できなかったけど、当然進学してもおかしくない成績だったと思います。そうでなければこんなに小難しい本は読まないです。閑子さんはゴーギャンが好きだそうで、「ゴッホはつまらないわよね、わかりやすすぎて」とおっしゃっていましたね。

『ゴーガン 私記』
通信簿が挟まっていた『ゴーガン 私記』

ご本人に通信簿をお返しできたので、このプロジェクトは終了ですか?

匂坂 閑子さんに会えて一区切りつきましたが、実は今、閑子さんのお父さんに興味を持っています。作中では触れていませんが、16歳で別府から密航船でロシアに行き、ロシア語の学校を出て、通訳として日本の外務省に雇われていたそうです。その後中国、そして台湾に渡り、今で言う公安みたいな仕事をしていたから、通信簿の保護者の欄に名前を載せられなかったようです。帰国してからは外務省を辞め、アイスキャンディ屋さんなどいろいろな仕事をし、財を成したのが避妊リング。この経歴がすごくおもしろくて、お父さんのロシア紀行を通して、ひとりの明治の男の生きざまを見てみたいと思いました。

密航だから名前がないし、ご本人はすでに亡くなっていますし、記録はほとんど処分されたようなので、追うのは難しいだろうなと思いつつもすごく興味があります。実は閑子さんのお嬢様が児童文学の作家で、いまその方と「おじいさんを追う」旅をしようと話しています。

今後は別府で新たな作品のきっかけを探す

作品の反響はいかがでしたか?

匂坂 こんなにたくさんお声がけいただいたのは初めてというぐらい、本当にたくさんの方からメールやお手紙をいただきました。「自分も実は引き揚げて来た」など切々とした思いが書かれていて、中にはお金を入れて「再放送をお願いします」と送ってきた方もいます。もちろんお返ししましたが、驚きました。

あと、映画祭に2023年4月入社の内定者の方が来てくれて、サイン会でお話ししたら「こういうドキュメンタリーを作りたいんです」と言っていました。熱意のある子が入ってくるのは嬉しいですね。

匂坂さんもドキュメンタリーを作りたくてテレビ業界を志望したのですか?

匂坂 実はテレビ業界に興味があったわけではなく、当初は腰掛のつもりで入りました(笑)。でも時々、自分がメディアとなって何かを伝えたいと思う瞬間があって、この仕事はそれをかなえられるのでやめられないんですよね。

今後のキャリアはどう考えていますか?

匂坂 番組を作るのはとても好きなので、今後も番組制作に携われる環境に身を置きたいと思います。また、最近ヨガ講師の資格を取ったので、ヨガ講師もやっていきたいですね。生徒募集中です(笑)。

具体的にどんな作品を作りたいですか?

匂坂 脈絡なくいろいろあります。今回の作品が教えてくれたことを、深めていきたいと思っています。例えば「引き揚げ」のこと。また「遺骨収集」のこと。そして自分にとってはずっとテーマである「ロシア」も、こんな時だからこそ、何か作りたいです。

それと同時に自分がメディアとなって伝えられることは何なのか待っている状態です。企画書って大抵、「世の中に問いたい」「こんなメッセージを届けたい」と思いながら書きますが、企画を通すために盛ったり、無理をすることもある。そういうことはもうやりたくないなあと思います。そうじゃなくて、今回の通信簿みたいにご縁があった時に動けるようにしておきたいです。

あと、4月から別府にアパートを借りることにしたので、月に何日か別府でオーラルヒストリーのようなインタビューを撮っていきたいと思っています。これがすぐに番組化につながるとは思っていませんが、何かのきっかけになればいいなと思います。

TBSグループをはじめ、テレビ業界を志望する若者に向けて、アドバイスをお願いします。

匂坂 自分の好奇心に忠実に、ケチらず投資して挑戦してたまに失敗して…というのを繰り返していくといいんじゃないかと思います。月並みな言い方ですが、どんなことでも失敗したことはモノづくりにいつか必ず生きてきます。

TBSスパークル・匂坂緑里
TBSスパークル・匂坂緑里

■TBSドキュメンタリー映画祭
https://www.tbs.co.jp/TBSDOCS_eigasai/
第3回を迎える映画祭、今年は東京、大阪、名古屋、札幌で順次開催。


匂坂緑里 プロフィール
上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。在学時1年間のスイス滞在中に起きたベルリンの壁崩壊の報に、すぐにベルリンに。西側にアパートを借り、東ベルリン・フンボルト大学のゼミに3か月通う。腰かけで入ったつもりのTBSビジョン(現TBSスパークル)に気づけば早30年在籍。多くの方に助けられ、番組を作り、生きています。

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